もう散々一種は紹介していますので、
ここを見ている方にはそんなに説明はいらないと思います。
今回紹介しますのは、
一種の参謀衣で、写真は永野おさみんですが、こんな感じの服です。
ジパングという漫画がありますが、主人公の草加と大親友の滝というキャラクターもこの服をよく着てますね。
昭和19年に三種軍装が戦闘服に指定されるまでは、一種が士官の戦闘服となっていました。
ですから、ミッドウェーの時も南雲司令部は皆一種軍装だったらしいです。
前にも説明しましたが、その後、昭和13年頃でしょうか、正装、礼装が無くなって、
この一種軍装が兼ねるようになっていきます。
まぁ、そんなこんなで海軍士官といえばこの一種が一番かっこいいと思ってる方も多いと思います。
現在の学習院の制服が瓜二つなのは羨ましいですね。
まぁ、とりあえず、ご紹介を
兵科士官の一種軍衣です。
袖章、襟章も綺麗に残っていて、虫食いも見られず状態は良い品となっております。
裏です。
こちらも虫食いも目立たず、いい感じです。
袖には、
袖章がちゃんと残っています。
袖口にはすり切れが両方にあり、相当使用感があります。
襟には、
襟章が残っていました。
これが嬉しいですね。襟章は外されてしまった状態のが多いです。
一種は二種と違って、戦後も使用しやすかったので襟章を外して使われる方も多かったようです。
井上成美大将や吉見信一少将なんかもそうでした。
そして、右肩にはなんと
飾緒を取り付ける機能がありました。
この飾緒穴があるかどうかで価値も変わってくるので大変嬉しかったです。
二種もこれがあるかどうかが重要です。
三種はまったく見ないですね。三種の参謀衣が手に入ったらコレクション終了してもいいかなと思ってます。
そして士官服なので、
糸があります。これも大抵の士官服にありますよね。
さて次は中身です。
まぁ、及第点な感じではないでしょうか?
作りがそんなに高級感が無いのが気になりますが。
袖には、
おなじみの縞模様の生地が貼ってあります。
そして、飾緒を取り付ける釦が布にあります。
この一種は、兵51期海大甲種32期の吉井道教大佐の服と判明しております。
吉井大佐はこちらでもたびたび紹介しております米内光政とかなり関係が深い人物です。
まず、兵51期の遠洋航海では磐手艦長として指導され、
その後、吉井大佐は旧姓を清水と言いますが、米内光政と同期の退役軍人である吉井達大佐の娘良子と結婚し、吉井姓になります。
昭和12年に米内海相が実現すると、官房副官兼秘書官として実松譲大佐と共に昭和14年1月に英国に行くまで側で仕えることになります。
英国では駐在武官補佐官として昭和16年まで滞在します。
開戦から20日後にロンドンから帰国するのですが、まぁ、海軍部内の空気に嫌悪感を抱いたようです。
同期の実松譲大佐もワシントン帰りなのですが、そう思ったようです。
その後、マリアナ沖海戦時には第四航空戦隊(松田千秋司令)の首席参謀として戦っています。
詳しい履歴は分かりませんが、少佐時代に副官、中佐時代に参謀を経験しているので飾緒穴があることに矛盾はありません。
もしかすると、この服でマリアナを戦ったかもと思うとドキドキしますね。
吉井大佐の詳しい履歴をご存知の方、よろしければご教授お願いします。
今回は、合服と冬服の違いも見たいと思います。
左が今回の合服、右が別の方の冬服となっています。
どちらも大佐服です。右の方の襟章を手に入れてあげなければいけないですね。
色合いは今回の服の方が黒い生地を使っていることが分かると思います。
違いは襟のほうを見ると分かりますが、
冬服のほうが分厚く作られています。
冬服のほうが相当重いです。
合服は一応一年中着られるように薄く作ってあります。
いずれ、右の方の服も紹介しましょうね。
ついでにトルソーちゃんに着せてみました。
う〜ん、やっぱりかっこいいですね。
大佐が一番、3つに3本ですので充足感がありますよね。
そして、右肩の切れ込みがすごく目立つ。
手に入れてよかったです。
手入れついでに外套も着せてみました。
う〜ん、ここまできちっと着込む士官はいなさそうなので、
襟章くらいは見せときたいですね。
でも、実際には
これくらいが着るにはかっこよくないですか?
てか、これかっこよくね?
なんだろう、これすごくいいです。
今回は大佐の参謀服でした。
大佐好きの自分にはとても達成感のある服です。
また、お世話になっている方に吉井道教大佐のお顔を見せていただきましたが、武人っぽい良い男でした。
米内さんや松田少将と同じ空間に在った服かもしれないと思うと、感慨深いものがあります。
いい物を手に入れました。
今回は以上です。お疲れさまでした。