ぼちぼち、軍装品も紹介して行こうと思います。
今回紹介するのは、海軍の軍服です。
海軍というと白いスマートな軍服を思い浮かべる方が多いと思います。
白い軍装を二種軍装と言うのですが、今回のは一種軍装の軍衣です。
海軍には主に3タイプの軍装があるのですが、
今回紹介する一種は春秋冬、白い二種は夏、そして昭和19年から陸戦服が制式となった三種(合服)は1年中という区分になっています。
私は最初は二種が好きだったんですが、今では一種・三種のとりこになっちゃってます。
それぐらい、集めてみるとかっこいいんですよね、一種。
そんな知られていそうで意外と知らない海軍一種の機関科少佐の軍衣の紹介です。
※画像をクリックすれば大きな画像でお楽しみいただけます。
この一種の原型は明治23年の士官常服だと思います。
この常服から詰襟になったので、一応原型かなという感じで折襟だった時期も入れるともっと遡ります。
当時は袖章のみで階級を表し、ポケットにも縁取りがなされていました。
その後、大正3年に上衣のポケットが腰に2つで縁取りが無くなり、大正8年10月に襟章が付くことになりました。
袖章の変遷もしようかなと思いましたが、いい図を見つけ次第追加ということで。
それでは、軍服の方を見ていこうと思います。
まずは全体像を
前面
背面
どうですか?かっこいいでしょう。
袖章、襟章ともにオリジナル品です。
安かった記憶はあるのですが、どうやって手に入れたか記憶が曖昧です。
また、胸の部分に勲章と略綬用の黒糸が縫い付けてあります。
将校の軍服って味が出てますねぇ〜(中島先生風)
襟章部分をPick upしたいと思います。
細い黒線に桜がひとつで少佐というのが分かると思います。
上下の
紫線は兵科の識別線で機関科だと分かります。
襟章の表が「海軍兵須知提要」にありましたから載せておきます。
襟章
兵科色
このように兵科によって色が違うので見分けやすいと思います。
色が違うということは航空科を除いて出ている学校が違うということになるので、
もし軍服の持ち主を調べたい時にその学校の名簿だけを調べればいいので楽です。
機関科は昭和17年の兵科統合で区別が無くなっているので、この軍服は昭和17年以前のものだと分かります。
次に袖章を見てみましょう。
これも表があるので載せときます。
まぁ、説明はいらないですね。
最初、一種は袖章だけだったのですが、分かりにくいということで大正8年10月15日に襟章が制定されました。
もし、レプリカか実物か分かりにくかったら、袖章の幅と大きさを確かめればいいです。
では、内部を見ていきたいと思います。
中はテーラーごとに作りが違いますから、その違いを見ていくのも楽しいです。
上のほうにテーラータグと名前の刺繍があります。
このように、作ったテーラーと名前の刺繍はほとんどの軍服のついています。
ただ、場所が違う服もありますから、今度紹介したいと思います。
このターラータグ、切れて見えにくいですが、東京の高級将校御用達の植久だと分かります。
上の画像と同じですよね!
この植久、明治政府が軍服を洋服で制定するときに陸軍は太田屋、海軍は植久に頼んだ政府の御用商人である大変由緒あるテーラーさんなのです。
ほかにも軍服界で有名なテーラーさんがいるのでその都度紹介したいと思います。
また、名前が木村とありますので、機関学校の名簿を調べてみたところ、
29期の木村秀一さん、33期の木村長助さん、41期の木村昌男さんのどなたかの軍服です。
ちょっとこれ以上絞れなかったので自分の限界を感じました。
この詰め襟の白い部分が気になったと思いますが、汚れではありませんw
これは、カッターを止めるためのプラスチック製のボタンみたいなものです。
海軍の詰め襟制服はそれ専用のカッターを付けるのが正式なので、軍装をする時は気をつけてください。
最後に、内側に片っぽだけ皮が貼ってあるのが分かると思います。
これは、短剣や軍刀を吊る時の刀当てです。
擦れてボロボロにならないように工夫がしてあります。
このように様々な工夫をしてあるのが見て取れるのも軍装蒐集の楽しいところなんですね。
これから集めてみたいって人、集めてるって人も参考になれたら嬉しいです。
たま〜に、軍装品の紹介文を書きたいと思います。