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海兵37期 堀江亥之吉大佐のアルバム

御無沙汰しております。
objectでございます。
だいぶ暖かくというか暑くなってきましたね。

さて、今回も写真です。
写真も写真ですが、なんと海兵37期のアルバムです!
しかも相当貴重な写真が入っていました!
ご遺族の方に確認した所、この時期の写真は手元には残っていないということで、
本邦初公開となる写真が出てきます。
しかも、もの凄い事実も分かっちゃいます!
入手してから6年?くらい経ってますけどようやく出します。
正直、書いてて今迄で一番楽しかったのでぜひ見て行って下さい!
草鹿任一

※前菜として草鹿の任ちゃんと山本いそさを貼っときます。これに匹敵するツーショットが出てきます!
さて、今回のアルバムは上記のように海兵37期の方のアルバムです。
まず、アルバム内に写真葉書や絵葉書が貼ってあるのですが、堀江亥之吉大佐宛や堀江家に当てて出されたものでした。
大佐宛は江田島、堀江家宛は山形が差し出し地ですが、大佐の故郷は山形県なので堀江亥之吉関連とみて間違いないでしょう。
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こちらは山形県の県人会の時の写真です。
前列左端に堀江亥之吉大佐が写っておられます。
この写真は昨日、部屋に埋もれていた資料群から発見したものですが、めちゃくちゃいいタイミングで出てきてくれました。
私は堀江亥之吉大佐の顔をこの写真で初めて拝見しましたので嬉しかったですねー

さて、それではアルバム内の写真を見ていきたいと思いますが、ほぼ風景と家族か親戚と思われる写真ばっかりだったので人物写真数枚を紹介するに留めたいと思います。
img632.jpg

最初はこの方、アルバムには"恩師船山辰治氏"とあります。
この船山氏、調べてみても本人が作った絵葉書しか出て来ないので詳細は不明です。
まぁ、山形の中学校なりの先生をされていたのではないでしょうか?

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さて、こちらはお勉強をされている様子ですが、海軍時代なのか中学校か分かりません。
が、後ろのクラスが煙草を持っている所を見ると中学校というのはあり得ない感じです。
この写真のキャプションでは、
img631.jpg

試験勉強と書いてありますが、◯◯学校が何なのかが分からんですね。
上は有だと思いますが、下は留とか富かなと思いますが意味が通じらんもんね。

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こちらの写真には"大正元年十二月於香取神社"と書かれています。
香取神社は全国に多々ありますので、これがどの香取神社かは分かりません。
でもこの写真に写ってる方々やばいですよ。
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左から"小沢兄、鮫島兄、桑折兄、堀江兄"と書かれています。
はい!はい来ました!
小沢治三郎中将、鮫島具重中将、桑折英三郎中将ですよこれ!
もっと画質プリーズプリーズな写真ですよ、これ!やばいですよね、マジやばい(語彙力)
ちょうど皆さん中尉になったばかりの写真だと思います。
ちなみに37期に堀江姓が二人いますので、この写真は堀江亥之吉大佐かどうかは分かりません。
と!思っていたのですが!この写真、実はあとでトンデモナイ事実が判明します!
乞うご期待!

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次はこの写真なのですが、これもよく分かりません。
上段に少尉、下段が少尉候補生たちです。
喪章を付けていることから上は海兵37期か38期、下は海兵39期の方だとは思いますがどうでしょうね。
上の人は37期のアルバムだから37期とすると、パッと見ですが佐藤立一少佐っぽいけど、どうだろうなぁ〜
ちょっと一覧見返してみないと分からないですね。
そしてこの写真ではですね、下段左の方に注目したいと思います。
下が39期とすると、ちょっと伊藤整一大将っぽくない?(願望)
ん〜まぁありえないか!
だったらいいなという写真でした。

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さて、ここでようやく海兵時代の写真が出てきた。(あ、写真は順不同というかバラバラに紹介してます)
この写真には"尾崎学兄"と書かれていました。
海兵37期には尾崎という姓の方が尾崎篤郎大佐と尾崎剛少佐のお二方いらっしゃいます。
最近、尾崎篤郎大佐に関しては写真を見せていただいたので分かりますが、尾崎剛少佐の方は写真がありません。
とりあえず尾崎大佐の方の写真を見てみると、右耳の上が尖っています。
でもこちらの写真では丸いです。そこでこの写真は尾崎剛少佐のものではないかと思います。
まだ分かりませんけどね!
ちなみに39期にも尾崎主税という方がいらっしゃいますけど、鼻が違うと思います。

さて、次がラストですが遂に一番大変な写真が出てきてしまいました。
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こちらも海軍兵学校生徒の写真です。
さて、誰が写っているでしょうか?皆さんもうお分かりかもしれませんね。
そうです、左に写っているのは小沢治三郎中将で、右は鮫島具重中将です!
なんと!あの!小沢さんと!鮫島さんの!生徒時代の!写真!なんです!
ヤバくない?これヤバくない?
控えめに言って手に入れた時はちょっと心臓止まりそうだった。
小沢治三郎中将のガタイ、柔道やってるだけあって凄いですね。
それにしても37期を代表する両中将が共に写っている写真、もの凄く貴重です。
現在、小沢中将の遺品は宮崎県は高鍋町にありますが、生徒時代の写真はない(伝記にもない)ので、自分で言うのもあれですけど凄い写真ですよ、これ。
また、どうも小沢さんと鮫島さんは親友同士だったようで、前出の桑折英三郎中将がその事を『提督小沢治三郎伝』に書かれていますので以下に抜粋したいと思います。

入校後初めての暑中休暇に帰省の途、親友の鮫島具重君と三人にて暑い日中を山に登り禅寺の佛通寺(廣島県)に詣で同寺の老師に会って話を聴いたことや、また練習船の二河川丸に乗って瀬戸内海を巡航し、私の郷里宇和島に入港した際、前記三人ともう一人堀江亥之吉君というクラスで一番の大男、俗に六尺と呼ばれた四人で、私の家につくや否や、先ず第一にみんな素裸になり井戸端で清冷な清水を何杯も何杯も心行くばかり浴びて、汗を流した後、大量の清涼飲料水(サイダーやラムネなど)や菓子、果物、すしなどを大の男四人が鱈腹喰って家人殊に中学生以下の弟妹をひどく驚かしたことなどいまだに想い出して、懐旧の念に堪えません。
また右四人が少尉の時、普通科学生で水雷学校と砲術学校の二校に別れて在学中揃って香取、鹿島両神宮に詣で、水郷潮來地方に一泊旅行をして種々珍談を演じたことなども懐かしく思い出されます。
                ー提督小沢治三郎伝刊行会『増補・提督小沢治三郎伝』原書房、1994年、140〜141頁。


あ!ちょっと待てよ?このお話!
皆さん、何か気づきませんか?
ちょっと立ち返って写真を見てみたいと思います。
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この写真に写っている方の名前は小沢治三郎中将、鮫島具重中将、桑折英三郎中将、堀江亥之吉大佐ですよ?!
先に述べた堀江兄、まさしく堀江亥之吉大佐ですね。まさに桑折英三郎中将の回想のメンバーです!
この四人は親友と呼んでも差し支えない仲だったのでしょう。
上の写真は茨城県にある香取神宮で撮影されたもので、回想に言及のある普通科学生の時の一泊旅行の際に撮影した写真ということで間違いないですね。
アルバムは間違いなく堀江亥之吉大佐旧蔵の物で、また史料を資料でトレース出来る素晴らしい結果となりました。
いやー、手に入れるべきものはちゃんと自分の手元に来てくれるんですね!
歴史やってて、海軍やってて本当に良かった!

以上、私の愛する37期のアルバムでした!
終始テンション高めに行っちゃって申し訳ありませんでした。
小沢治三郎中将と鮫島具重中将のツーショット、大切にしたいと思います。
本当に調べていて楽しかったです!
今回はここまでです。お疲れさまでした。
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[ 2018/05/30 04:25 ] [ 編集 ]

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