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霧島改二記念! 巡洋戦艦霧島より送られた草鹿任一中将からの手紙

霧島姉さん改二おめでとうございます!
霧島zwei

私がお迎えしたのは金剛型の中で一番遅く、2-4ボスでドロップして第四艦隊を解除出来た思い出があります。

今回はそんな艦娘きっての武闘派な彼女に関係ある品を紹介したいと思います。
Kirishima_Kure_1940.jpg

まずは草鹿任一中将を紹介したいと思います。


明42(1909).11.19 候補生 宗谷乗組
明43(1910). 7.16 千代田乗組
明43(1910).12.15 海軍少尉
明44(1911). 4. 1 常磐乗組
明44(1911). 8. 4 砲術校普通科学生
明44(1911).12.20 水雷校普通科学生
明45(1912). 4.24 安芸乗組
大元(1912).12. 1 海軍中尉
大 2(1913).12. 1 浅間乗組
大 4(1915).12.13 海軍大尉 海大乙種学生
大 5(1916). 6. 1 砲術校高等科学生
大 5(1916).12. 1 安芸分隊長
大 5(1916).12.25 軍令部出仕
大 6(1917). 2.21 浅間分隊長
大 7(1918). 7. 9 浅間分隊長/浅間砲術長心得
大 7(1918). 7.15 鹿島分隊長
大 7(1918).12. 1 浜風乗組
大 8(1919). 4. 1 浜風砲術長/分隊長
大 8(1919).12. 1 海大甲種学生
大10(1921).12. 1 海軍少佐 比叡副砲長/分隊長
大11(1922).12. 1 砲術校教官
大13(1924).12. 1 山城砲術長
大14(1925).12. 1 第二艦隊参謀
大15(1926).12. 1 海軍中佐 長門砲術長
昭 2(1927).12. 1 砲術校教官
昭 3(1928).12.10 教育局局員
昭 5(1930).12. 1 海軍大佐 軍令部出仕/海軍省出仕
昭 6(1931). 2.10 軍令部出仕(欧米各国出張)
昭 6(1931).11.12 帰朝
昭 6(1931).11.14 北上艦長
昭 7(1932).12. 1 第一艦隊司令部附
昭 8(1933).11.15 教育局第二課長
昭10(1935).11.15 扶桑艦長
昭11(1936).12. 1 海軍少将 砲術校長
昭12(1937).12. 1 第一航空戦隊司令官
昭13(1938). 4.25 支那方面艦隊参謀長/第三艦隊参謀長
昭14(1939).10.23 支那方面艦隊司令部附/第三艦隊司令部附
昭14(1939).11.15 教育局長
昭15(1940).11.15 海軍中将
昭16(1941). 4. 4 海兵校長
昭17(1942).10. 1 第十一航空艦隊長官
昭17(1942).12.24 南東方面艦隊長官/第十一航空艦隊長官
昭22(1947). 2. 7 予備役
昭47(1972). 8.24 歿 (83)

草鹿中将は海軍兵学校37期海軍大学校19期で、37期同期に井上成美大将・小沢治三郎中将などがいます。
また、従弟に聯合艦隊参謀長の草鹿龍之介中将がいます。二人は一時期、ラバウルで共に配属されたことがありました。
草鹿中将の最終配属は南東方面・第十一航空艦隊司令長官でラバウルで、今村均陸軍大将と共に最後まで将兵10万人を守りきった名将でもあります。
ラバウルでの戦闘や自給自足などの詳しい話は著書「ラバウル戦線異状なし」を読んでみて下さい。
ラバウルでは山本五十六大将が撃墜された時の長官で、あの最後の写真の右側に写っている髭の人物です。
Yamamoto_last_image_alive.jpg

私は草鹿中将が大好きで、アイコンに使わせていただいていた次第なのですが、
みなさんもwikiでいいですから読んでいただくと、潮っ気のある素晴らしい将軍と思うと思います。
短気な面もありますが、この方の下で働いてみたかったと思わされる人物です。
この手紙を手に入れた時はそりゃあもう、興奮しましたよ。
めったに出回ることがない品ですし、何より直筆ですからね。
今、旧軍関連品は最後の放出ピークを迎えてますからみなさんも探してみるといいと思います。

それでは手紙のほうを見て行きたいと思います。
kusaka_kirishima01.jpg

kusaka_kirishima02.jpg

"大分府佐伯 軍艦霧島 草鹿任一" いいねぇ!痺れるねぇ!
原中将の手紙でも書いたように、行動中はその軍艦が住所になります。
注目すべきは6銭の不足料金があったことですね。
おっちょこちょいだったのかな?w
何もこんなデカデカと書かなくてもって思うほど大きく6って書いてあります。

次に中身です
No.1
kusaka_kirishima03.jpg
No.2
kusaka_kirishima04.jpg
No.3
kusaka_kirishima05.jpg
No.4
kusaka_kirishima06.jpg

リンクにある郵史日乗のGANさんに手伝っていただきました。
No.1
kusaka_kirishima07.jpg
No.2
kusaka_kirishima08.jpg
No.3
kusaka_kirishima09.jpg
No.4
kusaka_kirishima10.jpg

戦技訓練のことが書いてあり、
佐伯では第一艦隊が戦技訓練をすることが慣例となっており、この時期は海軍省教育局第二課長として霧島に乗って戦技訓練と馬公要港部の視察を行っていました。
教育局と聞くと、演習には関係ないように思いますが、演習によって分かった事を
海軍部内に普及させていくことも教育局の仕事なので、実は演習視察は教育局の重要な仕事です。
この藤森少将とは同期で、なかなか仲が良かったことが別の手紙からも見受けられます。

手紙の最後に5月15日以降は鎌倉に手紙を送ってくれるよう書いてありますが、鎌倉には海軍将官の家がたくさんあったようです。
でも、士官は鎮守府をまたいで転勤がかなりあるので本邸と宿舎のふたつの家を行き来していたみたいです。
今で言う海軍士官は転勤族だったようです。

直筆の手紙はとても貴重で大切な資料です。
戦争には直接関係はない資料ですが、軍人の面影を見るには一番ふさわしい資料だと思います。
これからもどしどしと見つけて行きたいと思いますw
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[ 2014/04/06 23:37 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

某を間違えてなければ、たぶんそうですよ
[ 2014/04/06 23:50 ] [ 編集 ]

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