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満特会所属の海軍軍人名簿

今回は海軍人事局の封密封筒に入っていた海軍軍人による団体名簿の紹介です。

みなさんは、特務機関と聞くと何を想像するでしょうか?
この名簿は、どうやら満州特務機関の名簿のような気がするのです。
ちょっと、海軍で特務機関といわれてもピンとこないかもしれないですが、そんな歴史に埋もれた組織の貴重なものを紹介します。

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さっそくですが、今回のは少し歴史を知っている方じゃないときついかもしれないです。

名簿を貼って行きます。
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名簿にはこの満特会の由来と所属軍人の一覧です。
どうやら、新京に置かれていた駐満海軍部に所属していた軍人有志で作られた組織です。

で、その首魁が小林省三郎という方なのですが、この方の経歴があれなのでまとめてみました。

海軍中将 小林省三郎(海兵31期海大甲種15期)・・・五・一五事件の黒幕とも。入校前から中国にいたとも。満州国皇帝溥儀の信任厚し。1931年12月、満州特務機関長。1933年4月、駐満海軍部司令官。1936年3月に鎮海要港部司令官を最後に予備役。1945年には護国連盟本部長。
かなり右寄りな経歴、小園安名大佐と昭和維新で共鳴してたとも。

この満州特務機関がこの組織の前身のような気がします。
そして、名簿の面子を見てみるときな臭い感じがしてきます。
満州国内の情報収集と煽動・また宮殿工作等をやっていたような面子だな〜と思っています。

普通科の方々しかまだ調べきってないのですが、ちょっと書いて行きます。

海軍少将 藤森清一朗(海兵37期)・・・過激な言動で早めに予備役に追いやられたという意見が出るほどの人。同期の草鹿任一中将にたしなめられる手紙がある。
海軍大将 伊藤整一(海兵39期海大21期首席)・・・私は米内派だと思っていたが、どうやらどちらかというと開戦派、艦隊派だったのかもしれない。名簿に名前がある。スプルーアンスなどと親交を結び、知米派にのち転換したのかもしれない
海軍中将 武田盛治(海兵38期)
海軍少将 大島乾四郎(海兵39期)・・・伊藤整一と同期。
海軍中将 阿部弘毅(海兵39期海大23期)・・・伊藤整一と同期。消極的な指揮が問題に。
海軍少将 千葉慶蔵(海兵38期)
海軍中将 志摩清英(海兵39期海大21期)・・・伊藤整一と海兵海大共に同期
海軍中将 柴田弥一郎(海兵40期海大23期)
海軍大佐 龍崎留吉(海兵40期海大23期)
海軍中将 左近允尚正(海兵40期)・・・ビハール号事件により刑死
海軍中将 白石万隆(海兵42期海大25期)
海軍少将 黒木剛一(海兵43期)・・・シベリア抑留の海軍軍人代表
海軍大佐 香春克己(兵44期)
海軍大佐 松本一郎(兵45期)
海軍大佐 山川幾蔵(海兵46期)
海軍少将 川畑正治(海兵47期)・・・横須賀で海軍の終戦処理。クリスチャン。
海軍少将 佐々木高信(海兵47期)・・・1945年4月1日南支那海に於いて阿波丸便乗時に戦死
海軍少将 山田武次(海兵48期)・・・1944年7月17日、パラワン島で第三六共同丸特務艦長として戦死。
海軍少将 福岡徳治郎(海兵48期)・・・1945年3月10日、第二特攻戦隊で殉職。
海軍大佐 澤村成二(海兵49期)
海軍大佐 山田鉄夫(海兵49期)
海軍少佐 板橋清(海兵49期)
海軍少将 岩上次一(海兵50期)・・・1945年1月8日、第五十二駆逐隊司令として駆逐艦檜に於いて戦死
海軍大佐 春山淳(海兵50期)・・・1943年11月15日に北太平洋に於いて第十三駆潜隊司令として戦死
海軍大佐 山田盛重(海兵51期海大甲種34期)・・・大神突撃隊司令
海軍大佐 江口穂積(海兵51期)・・・1944年10月25日、レイテ沖海戦にて瑞鳳副長として戦死
海軍大佐 小倉正身(海兵51期)・・・1942年11月30日、ルンガ沖海戦にて高波艦長として戦死
海軍少将 久保田久晴(海兵36期)
海軍少将 大家吾一(海兵46期)・・・1944年8月2日、第五六警備隊司令としてテニアンで戦死
海軍技術少将 吉川晴十(東大工学部)

海軍の中国情報通の二大人物である小林中将と藤森清一朗少将が入ってますから、
何かしらのスパイ組織と考えていいのかもしれません。

また、一番びっくりしたのは、知米派の伊藤整一中将が入っていたことです。
この組織はどちらかというと革新派的な組織で、海軍から追い出された方々が多いですからちょっとびっくりです。

ただですね、この伊藤整一中将を名簿で見つけてから調査してみると、開戦反対派では必ずしもないのではないかという気もしてきました。
開戦以前、駐英武官だった近藤泰一郎少将が嶋田繁太郎海相、沢本頼雄次官、永野修身総長、伊藤整一次長に開戦を止めるように問いかけた時は特に反応が無かったようです。
また、条約派にも名前が出てきていません。
彼のスタンスはどこにあったんでしょうか?最後は第二艦隊司令長官として大和と一緒に沈んでしまっています。

この組織はなんだったのか、どういう活動をしていたのか
ちょ〜気になります。
しかし、調べるのはちょっとかかりそうです。
消化不良な記事ですが、何か分かり次第、追記していこうと思っています。
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