山本五十六の親友 塩沢幸一海軍大将の手紙 名刺

こんばんわ
梅雨も明けきって、暑くなってまいりました。
夏が来ると、ノスタルジックな気分になるのは私だけでしょうか?

さてさて、今回は界隈では養命酒で有名な方の関連品です。
あまり有名ではありませんが、海軍関係の伝記等を読むと良く出てくる人物ではないでしょうか?
山本五十六の伝記なんかには必ず出てくる海軍大将の方のものを紹介したいと思います。

最近、マンネリズム化していると思いますので、
もっとこうして欲しいとか、◯◯を見たいという意見がありましたら、可能な限りやらせていただきますので
ご意見お待ちしております。

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では、恒例の人物経歴から

Shiozawa_kōichi
海軍大将 塩沢幸一

明37(1904).11.14 候補生 韓崎丸乗組
明38(1905). 1. 3 朝日乗組
明38(1905). 8.31 海軍少尉
明39(1906). 2.16 姉川丸乗組
明39(1906). 7.16 響乗組
明40(1907). 8. 5 砲術校普通科学生
明40(1907). 9.29 海軍中尉
明40(1907).12.16 水雷校普通科学生
明41(1908). 4.20 三笠乗組
明42(1909). 4. 1 千早分隊長心得
明42(1909).10.11 海軍大尉 千早分隊長
明42(1909).11. 1 相模分隊長
明42(1909).12. 1 海大乙種学生
明43(1910). 5.23 砲術校高等科学生
明43(1910).12. 1 横須賀予備艦隊参謀
明44(1911). 1.23 利根分隊長
明44(1911).12. 1 佐世保予備艦隊参謀
大元(1912).12. 1 砲術校教官/分隊長/経理校教官
大 2(1913).12. 1 海大甲種学生
大 3(1914).12. 1 海軍少佐
大 4(1915).12.13 軍務局局員(一課)
大 6(1917). 6. 1 英国駐在
大 6(1917).10. 2 英 Resolution 乗組
大 6(1917).11.21 英 Royal Oak 乗組
大 7(1918).10.10 退艦
大 7(1918).12. 1 英国駐在/在英国大使館附武官補佐官
大 8(1919). 4. 1 英国駐在
大 8(1919).12. 1 海軍中佐 命帰朝
大 9(1920). 4.13 教本部員
大 9(1920).11. 1 第一艦隊参謀
大 9(1920).12.17 海大教官
大12(1923). 3. 1 軍務局第二課長
大12(1923).12. 1 海軍大佐 軍務局第一課長
大14(1925). 5.15 古鷹艤装員長
大15(1926). 3.31 古鷹艦長
大15(1926).12. 1 在英国大使館附武官/造船造兵監督長
昭 2(1927). 4. 5 在英国大使館附武官/艦本造船造兵監督長
昭 3(1928).12.10 海軍少将 命帰朝
昭 4(1929). 6. 1 軍令部出仕
昭 4(1929). 8.15 第二艦隊司令部附
昭 4(1929). 9. 6 第二艦隊参謀長
昭 4(1929).11.30 第一艦隊参謀長/連合艦隊参謀長
昭 5(1930).12. 1 第一遣外艦隊司令官
昭 7(1932). 6. 6 軍令部出仕
昭 7(1932).10. 1 軍令部出仕/海軍省出仕/軍事普及部委員長
昭 7(1932).12. 1 鎮海要港部司令官
昭 8(1933).11.15 海軍中将
昭 9(1934). 1.17 航空本部長
昭10(1935).12. 2 舞鶴要港部司令官
昭11(1936).12. 1 佐世保鎮守府長官
昭12(1937).12. 1 軍令部出仕
昭13(1938). 2. 1 第五艦隊長官
昭13(1938).12.15 軍令部出仕
昭14(1939). 1.27 艦政本部長/将官会議議員
昭14(1939). 8.30 軍事参議官
昭14(1939).11.15 海軍大将
昭15(1940). 9. 5 横須賀鎮守府長官/将官会議議員
昭16(1941). 9.10 軍事参議官
昭18(1943).11.17 従二位 歿 (60)

塩沢大将は養命酒で有名な養命酒酒造の一族の四男として生まれ、
山本五十六と同じ海兵32期に首席で入学、学校では堀悌吉と毎回首席を争っていて、
最終的には次席で卒業しています(堀が首席)。
山本五十六や堀悌吉とは仲が良く、阿川弘之が持っていた有名な写真がありますね。
Yamamoto_with_classmates.jpg

ルビを入れときましたが、三人並んで写っています。
山本五十六は彼のことを「おい、養命酒」と呼んでいたそうで、五十六がロンドン会議に行く際に
塩沢家に「塩沢君にお世話になってます」と電話をかけて、大量に養命酒を塩沢幸一にツケで持って行った話は有名だと思います。

塩沢大将は海大を卒業したあとは英国駐在武官、第一次大戦期は観戦武官として英国艦に乗り組み、
帰朝したあとは主に陸で活躍しています。
ですが、上海事変が始まると日本居留民の説得、第五艦隊司令として各種攻略作戦に参加したりもしています。
その後は軍事参議官、各長官と隠居コースに乗って行くのですが、
昭和18年6月5日の山本五十六国葬では司祭長を務めています。
が、同年11月に60歳で没しています。
やはり、同期の山本五十六の戦死は応えたんでしょうか?

では、手紙の方を紹介したいと思います。
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昭和17年2月9日、太平洋戦争真っ最中の軍事参議官時代の御手紙です。
宛先は窪田仲蔵という方で、調べてみると日露戦役の時の旅順の従軍日記で有名らしいです。
詳しいことは分かり次第、追記します。

今回は読みやすい手紙だったので、

判読してみました。
◯部分や誤字等ありましたらお知らせ下さい。
(追記)コメントにて正確な判読をしていただきました。失礼ながらこの場にてお礼申し上げます。ありがとうございました。
さて、内容にある万事解決すべきこととはなんだったのでしょうか?
ですが、この時にお会いして何かしたようで

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4月27日以前にお土産を送って貰ったようです。
軍事参議官の名刺に「名産品拝受難有御禮申上候」と書かれています。
鉄道省の小荷物切符(受託用)も一緒にわざわざ入れてる所を見ると、
ものすごく豆な人物であったのだろうなぁという印象を受けました。
この一年半後に亡くなってしまうのですが、さぞかし慕われた人物だったのだろうと感じました。

今回は塩澤幸一大将の関連品でした。
これからも頑張って集めて行こうと思います。
では。
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初めまして

塩沢大将の伝記がないか調べている際にこちらがヒットしました。

書簡ですが、
1行目 前略御手紙(拝)受
3行目 松(本)に行く(豫)定に有(之)(候)
4行目 (駅)にて一寸(拝)
5行目 (右)取り敢えず御
6行目 返事申上(候)
になります。

養命酒の話は私も初めて読んだ時は笑ってしまいました。
当時の海軍さんは面白いエピソードも多いですね。
[ 2014/07/26 09:37 ] [ 編集 ]

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