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海軍兵学校 第37期 クラス会 会誌

ドーモ、テイトク=サン。オブジェクトデス。
さて、手に入れた資料を次から次へ整理して行って、
過去に集めた資料や記事を顧みるのがめんどくさくなってきました。
追記等いろいろあるのだよ、君。

はてさて、閲覧者が艦これユーザーより海軍愛好家のほうが圧倒的に多いと思われるこのブログですが(ホントかなー?)、もうね、艦これ要素いらないんじゃないかとね、方々から言われるわけです。
でもね、このブログは普及を目的としてるんだから、艦これ外すと内輪だけの話になるんじゃないかと、
脳内幕僚会議が紛糾しております。
確かに艦これ記事は少ししか書いてない。
でも、もしも、もしもの話だよ?
艦これのアニメが始まるってことは、提督=海軍士官にも注目が集まるんじゃないかと!
私は正直、艦のことは艦これユーザーに毛が生えた程度しか知りません。
もっぱら、海軍士官の研究をしております。
だから、艦だけでなく提督自身にもスポットライトが当たってもいいんじゃないかと思ってるのですが、
アニメ化でそういう発展の仕方もあるんじゃないでしょうか?

だから、白状しましょう!
スレ内で出て来た資料、7割俺なんじゃない?

まぁ、反転はさておき、
今回はobject垂涎の資料さんです。
以前から、海兵37期が一番好きだと公言している私ですが、
その37期のクラス会会誌が手に入りました。
もう、こういうのは本邦初公開ではないかと!(違うと思うよ、言ってみただけ)
一緒に改めてクラスの紹介と、37期の詳細な説明と共にやっていきたいと思います。

前置きなのに長くてゴメンナサイね。
kvfgbvhbsd.jpg

※今回は、文量・画像数が半端ないです。また、軍人はすべて最終階級で表しています。

この記事のエントリーナンバーが37でした。さっき気づいて、ちょっと鳥肌です。
まず、クラス会の説明をしたいと思います。
海軍兵学校の同期生のことを貴様と俺の関係、クラスと称するのはよく知られたことだと思います。
海軍学校(兵学校、機関学校、経理学校)の同年生はコレスと言います。
このクラスは、海軍士官はどうしても遠隔地や海外の勤務が多くなりますので、
留守家族のことや、その他諸々のことで助け合うことが大事です。
だから、卒業後も同期でクラス会というものを作って幹事なども置いて相互に助け合っていました。
「クラス会は公務に準ずる」というくらい、大切にされていました。
戦争が終わって、海軍が無くなったあともクラス会はMPの目を逃れながら続けられました。
今回は37期の戦後のクラス会の様子を書いとこうと思います。
戦後、志賀直哉の妹の婿になっていた実吉敏郎大佐の家に集まってクラス会が開かれることになりました。
数十人くらいが集まって、蒸かした南瓜を肴に話し合うものだったそうです。
この会は、鎌倉で開かれていたので湘南クラス会として10年くらい続けていたそうです。
ある日、井上成美大将、小松輝久中将、草鹿任一中将、岸本鹿子治少将、実吉敏郎大佐他二十人くらいの人数がいたそうですが、井上さんは終戦について劇薬に等しいことを主張したそうで
場が完全に白けきってしまいました。
井上さんはラディカル・リベラリストを自称するように、少しいや、大分空気を読む事が出来なかった方なのですが、まぁ、そういったこともあって、
草鹿任一中将などは夫人だけ寄越して自分は来なくなってしまったそうです。
井上さんの話は色々ありますが、それはまたの機会に。
草鹿さんは戦後も井上さんに批判的な見方としていたのですが、
井上さんが困窮していた時に資金集めなどの援助を中心となってやったのは草鹿さんです。
この話を思うたびに泣けてきます。
クラスとは、こういうことだと思います。

さて、前置きはここまでで資料のほうに行こうと思います。
IMG_20140730_0002.jpg

昭和3年の海兵37期会の会誌です。海兵37期スキーにはたまらない資料です。

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昭和3年度の幹事は藤森清一朗少将、昭和4年度は我らが草鹿任一中将が幹事です。
幹事の説明は後述します。
また、クラス会はクラスの会費で成り立っています。
そこから、幹事の活動資金、クラスの冠婚葬祭費用、万一の場合の貸し出し等様々なことに使われます。

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IMG_20140730_0006.jpg

そして、ここから会員の動静報告があります。
井上成美大将はイタリア駐在武官に、小池四郎中将はブラジル駐在武官に浮田秀彦中将は横須賀鎮守府附で欧米各国出張に任命されています。
小池四郎中将はご家族を連れて、あとの二人は単身赴任です。
井上さんの駐在武官の話は阿川弘之の「井上成美」に詳しいので参考にしてみてください。
また、帰朝したクラスのことも書かれています。
松永寿雄少将、中村重一少将は軍令部出仕の欧米各国出張から、樋口修一郎中将は横須賀鎮守府附の欧米各国出張から、馬越喜七中佐は米国出張から帰朝しています。
さらに、クラスとそのご家族親族の不幸はこうして纏められています。
特に難波正中佐のことはご本人のことなので詳細に記述されていますので以下抜粋

難波 正君
右第四駆逐隊帆風駆逐艦長トシテ勤務中(同隊ハ佐世保ニテ修理中ナリシ)十二月五日
夕刻上陸下宿ニ於テ卒倒十二月十日死亡セラル病名脳溢血、夫人ハ御臨終ニ間ニ合ヒ
シモ令息ハ間ニ合ハザリシ茲ニ哀悼ノ意ヲ表ス


先にも書きましたが、クラス会では相互援助をするための会なので
クラス家族の面倒はその後、クラス会が見ることになります。

さて、ここからは37期のクラス会の会員についてなので、37期全員をざっとまとめてみました。
<海軍兵学校 第37期>
小林萬一郎少佐・・・大正11年4月20日に35歳で死去
井上成美大将・・・甲種22期
岩下保太郎中将・・・甲種20期
柿田孝二大尉・・・大正6年6月1日に30歳で死去
戸苅隆始中将・・・甲種19期
小池四郎中将・・・甲種20期
関根郡平少将・・・甲種19期
岩村清一中将・・・甲種19期
河村文平少佐・・・昭和2年9月26日に39歳で死去
宍戸好信中将・・・甲種20期
本田忠雄少将・・・甲種19期
中山道源少将・・・甲種20期
井奥深大尉・・・大正6年12月18日に31歳で死去
鈴木新治少将・・・甲種20期
久我安市少尉候補生・・・明治43年2月13日に22歳で死去
中田操大佐
柳川教茂大佐
鈴木繁弥少佐・・・大正15年9月7日に40歳で死去
太田泰治中将
大熊政吉中将・・・甲種19期
草鹿任一中将・・・甲種19期
矢部勇中佐
岸本鹿子治少将
小橋義亮大佐・・・甲種19期
藤森清一朗少将・・・甲種19期
小松輝久(北白川宮輝久王)中将・・・甲種20期
北川茂春少将
清源清中尉・・・大正2年10月4日に26歳で死去
飯倉貞造少将
三並貞三少将・・・甲種20期
浮田秀彦中将・・・甲種20期
桑折英三郎中将・・・甲種20期
田鎖恭一郎少佐
元泉威少将
園田滋中将・・・甲種21期
雉本了介少尉
後藤英次中将
菊池省吾少尉・・・明治45年4月1日に25歳で死去
岩崎大助大尉・・・大正7年7月12日に32歳で公務死(徳山港で沈没)
片原常次郎少将
大川内伝七中将・・・甲種20期
難波正中佐
松永寿雄少将・・・甲種19期
本間清中佐
小沢治三郎中将・・・甲種19期
福田均三大佐
伊藤公男中佐
山田満少将・・・甲種21期
有本明少佐
生方乙彦大尉
鮫島具重中将・・・甲種21期
渡辺鐐一大佐
中村重一少将・・・甲種19期
中村一夫少将・・・甲種20期
千藤茂美少佐
彭城得少尉・・・大正2年6月10日免官    
清水長吉中佐・・・甲種20期
高崎武雄少将・・・甲種19期
武部鷹雄大尉・・・大正4年3月6日に29歳で公務死(追浜沖で飛行機事故)
井上幸吉大佐
佐倉武夫少将・・・甲種21期
野口隼士大尉・・・大正12年11月21日に37歳で死去
小熊文雄大佐
難波暉雄大尉・・・大正8年12月19日に33歳で死去
田中正英中佐
鋤柄玉造中将・・・甲種20期
高須三二郎中将
利根川忠三少佐
熊沢舛蔵大佐・・・甲種19期
土本峻一少佐
八田耕造大尉
松本益吉中将・・・甲種20期
山田省三大佐     
吉田福蔵少佐・・・大正13年8月16日に38歳で死去
野村経徳少佐
宇佐美治作大佐
千知波長次大佐
斎藤(辻)音治郎大佐
青柳宗重少将
工藤泉介中佐
松本康生少佐
山田梅蔵少佐
武田(島田)哲郎大佐
国生行孝大佐
人見駿一少佐
山口利隆少佐
岩上維精少佐
尾崎篤郎大佐
荻野仲一郎大佐
加藤正大佐
春日篤少将
村田茂男少佐・・・大正11年2月11日に37歳で死去
日台虎治少将・・・昭和18年8月5日にマニラで戦死(第二護衛運航指揮官)
山村実大佐
小林三良大佐
石黒虎雄少将・・・昭和19年1月18日に南方で戦病死
松本青二少佐
蓑妻準二大佐・・・昭和20年12月10日にウラジオで抑留死(清津武官府)
米田重治中尉・・・大正2年3月24日に25歳で死去
富田賢四郎大佐    
境澄信大佐
宮島良澄少佐・・・大正11年8月26日に35歳で公務死(オゼルナヤ沖で沈没)
実吉敏郎大佐・・・志賀直哉の妹の婿
野元光康大尉・・・大正10年9月7日に35歳で死去
帖佐敏吉大佐
椛島節雄中将
早川定三少佐
五日市矩規司少佐・・・大正7年12月18日に32歳で公務死(地中海で戦病死)
竹崎武雄大佐
茂泉慎一中将
最上修児大佐
寺田祐次少将
木幡行少将・・・甲種20期
渡部徳四郎大佐
前沢弼治大佐
中村進少佐・・・昭和10年10月7日に50歳で死去
久保伝治大尉・・・大正7年12月17日に32歳で死去
岡本絢大佐
堀江亥之吉大佐
伊藤儀三郎少尉候補生・・・明治44年9月29日に26歳で死去
葉若秀雄少佐
馬越喜七中佐
佐藤立一少佐
杉沼(三村)親比少佐
桑原虎雄中将
大橋五郎大佐
諸岡脩一少尉・・・明治44年12月11日に24歳で死去
長谷川貞平少佐
遠藤昌大佐
阪本敏大佐
樋口修一郎中将
稲川与三郎大佐
窪徳治郎大尉・・・大正3年10月18日に29歳で戦死(膠州湾外で沈没)
加藤仁太郎少将・・・昭和13年7月31日に53歳で戦死(涼泉鎮)
尾崎剛少佐
鈴木実少佐
亀井主計中佐
中野郡次大佐
大堀庫次少佐
一法師喜雄大佐
春日末章大佐
大槻季雄大尉
坂部省三少将
寺沢市太郎少佐
山本友一中佐
原顕三郎中将
松川彦太郎大佐
大島信哉少佐
阿部新治中尉・・・大正5年3月20日に29歳で公務死(東京上空で飛行機事故)
小槻貞三少佐
伊藤長大佐
前田藤三郎少佐・・・大正15年7月26日に40歳で死去
加藤泰平少佐
横山茂大佐
福原一郎大佐
村上象次郎少佐
谷山国彦大佐
水野孝吉少将・・・昭和19年11月10日に九州南西方面にて戦死(護国丸指揮官)
鈴木田(田中)幸造大佐
宮崎平大佐・・・昭和18年3月29日に台湾高雄で戦死(高雄掃海隊司令)
堀江吉正大佐
志賀(宮崎)忠一中佐
山中孝次郎少佐
水野準一少将
黒崎林蔵少将・・・昭和19年3月2日にトラック港外で戦死(赤城丸艦長)
井上(浅田)準一少尉候補生・・・明治44年6月5日免官    
塹江乙矢中佐
喜多山省三中佐
六村為樹大佐
赤穴敏一大佐
川上壮雄少佐
佐藤正四郎少将
大久保一桜少佐
田尻旭一少佐
上村貞太少佐
山本重雄中尉・・・大正2年6月4日に28歳で死去
上村真琴少佐
角村利平大尉・・・大正3年10月18日に29歳で戦死(膠州湾外で沈没)
佐藤継人大尉

席次ごとに並べて、甲種は海軍大学校甲種の期数を、名前の()内は旧姓を表しています。
中堅以上の階級で戦争に突入しましたので、海軍大学校を経ない、またはベッキ組(席次が低い)でも将官になった者が多いです。
太平洋戦争で戦死したのは石黒虎雄少将、黒崎林蔵少将、日台虎治少将、水野孝吉少将、蓑妻準二大佐、宮崎平大佐です。
戦死公務死合わせて14人、179人中14人というのは割と少ない割合ではないでしょうか?
ちなみに、一番戦死の割合が多いのは海兵68期で288人中191人、戦死率69.32%です。合掌。

さて、再度資料を見て行くと
IMG_20140730_0006.jpg


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37期179名中、この資料の時期の昭和3年時点で
会員数109名
予備後備会員数38名
死亡会員数29名
会員外同級生数5名
となっています。
会員外同級生で除名になっている彭城得少尉と井上準一少尉は上の名簿で免官、海軍を辞めさせられているので除名となっているようです。
その他にも予備会員というのがあって、それも後述します。

さて、その次の項目に会員諸君に対する希望というのがあります。
会員とその家族に不幸があった際はすぐに幹事、または副幹事に報告してほしいこと、それが無くて礼を欠く場合があって遺憾に思っていること。
会員に異動があった場合はすぐに幹事又は副幹事に通知して幹事の手元にある名簿に記入するようになっているようです。これも不完全で不便を感じているとのことです。
このように幹事、副幹事は広域な所に散らばるクラスのことを迅速に把握するために置かれていて、持ち回りでやっていくみたいです。
また、冠婚葬祭やクラス会の準備もこの幹事達によって為される、クラス会の要とも言える仕事です。

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副幹事は全国又は艦隊に置かれていて、その地域のクラス会員をまとめているようです。
東京には加藤正大佐、横須賀には小沢治三郎中将、呉には最上修児大佐、佐世保には井上幸吉大佐、第一艦隊には千知波長次大佐、第二艦隊は太田泰治中将という面々です。
また、各地要港部では所在会員数が少ないので副幹事は置かずに先任者(この場合は階級が上の者)が副幹事の役を勤めることになっていたようです。
幹事はその仕事ぶりから会員と連絡を取る事が多くなるので、通信費吊慰金として30円を配布していたようです。超過分は会費から適宜取るように書いてあります。
これは、面白い制度というか海軍特有のもののような気がします。
もちろん、海軍兵学校でクラブの支払いが1銭も不足分が無かったように、私的に使い込むなんてことは無かったと思います。

さて、前述のようにすべてはクラス会費で運営されているのですが、
もちろん、会費はクラス会員に納入してもらいます。
IMG_20140730_0009.jpg


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不足分と超過分が表にされています。
ちゃんと納めている、もしくは余分に払っている人は108人中56人。
どうした!どうした!Naval officerたる者、きちんとしないと!
一番余分に払ってるのは木幡行少将と、高須三二郎中将で8円。
不足分が一番多いのは一法師喜雄大佐の34円50銭でした。
やっぱ、将官になる男は違うぜ!
意外だったのは、しっかり者の井上成美大将が12円の不足金だったこと。
私の中の井上像が・・・
しかし、これは3年度分の表で4年度分はまだあるから払ってね♡ちなみに未納額合計634円40銭よ♡
という厳しい言葉で締めくくられていました。

さて、クラス会には会員の他に期がお世話になった先輩諸兄を名誉会員として登録する制度がありました。
37期の名誉会員一覧表(昭和3年まで)です。
IMG_20140730_0011.jpg

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これについては面白い逸話があるのでご紹介を。
山本五十六が戦死する少し前の昭和18年4月、ラバウルでは草鹿任一南東方面艦隊司令長官と小沢治三郎第三艦隊司令官、鮫島具重第八艦隊司令官、武田哲郎大佐、柳川教茂大佐の同期5人がラバウルに集うことになり、クラス会を開く事となった。
その話を聞いた山本五十六聯合艦隊司令長官は「俺も入れてくれるんだろうな」とジョニ黒を土産に参加することとなった。
宴もたけなわになった頃、誰かに皆で寄せ書きをしようということになって明治42年の37期の卒業遠洋航海の時に草鹿候補生や鮫島候補生や小沢候補生が乗り込んだ宗谷の艦長だった鈴木貫太郎と、古賀峯一に出そうと宗谷の分隊長であった山本五十六が提案した。
まず、山本五十六が、鈴木貫太郎に宛てて、墨で、短い文句と自分の遠洋航海の時の役職と現役職を書いて、皆、それにならって以下の様な寄せ書きが完成した。

南東第一線に於て級会を開き候補生当時の追憶談に花を咲かせ申候
遥に閣下の御健祥を奉祈上候
第三十七期生
名誉会員 元宗谷分隊長 現聯合艦隊司令長官 山本五十六
     元少尉候補生 現南東方面艦隊司令長官 草鹿任一
    元少尉候補生 現第三艦隊司令官 小沢治三郎
     元少尉候補生 現第八艦隊司令官 鮫島具重
    元少尉候補生 現日春丸監督官 武田哲郎
     元少尉候補生 現不明 柳川教茂


山本五十六は鈴木さんはこの寄せ書きを神棚に飾るだろうと言っていたが、
届いたのは戦死後数日経ってからで、古賀峯一が聯合艦隊司令長官の就任挨拶を鈴木貫太郎にしにいった際に神棚にこの寄せ書きが飾ってあったという。

この時、山本五十六が書いた名誉会員というのは37期クラス会が遠洋航海の時にお世話になった山本五十六に送ったもので、実際に当時の資料で確認出来たというのは
私にとって、とても価値のあることです。
山本五十六の他、鈴木貫太郎や伊藤祐保など錚々たる面子が登録されています。

この名誉会員は海軍関係者だけですが、他に軍人以外でお世話になった人は
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予備会員として登録されているようです。
この方達も、37期を援助する方々なのでしょう。

最後に、37期の現在の役職一覧が書かれています。
IMG_20140730_0015.jpg

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軍隊という組織の中で生きて行く過程には、席次や功績で皆共に進級するということはありません。
しかし、公務を離れれば大佐だろうが中将だろうが貴様と俺の関係です。
そういう意味でこれは厳しい現実も映し出しているようなものなのですが、海軍兵学校37期出身の軍人の経歴の参考にしていただければ幸いです。

この資料は、37期好きの私にとってはすごい物でした。
書いて行く過程で間違い等あると思います。その場合は指摘等よろしくお願いします。

これまでの記事で一番時間がかかりました。
その分、丁寧に説明出来たんではないかな?と思います。
読みにくかったと思いますが、お付き合いいただいた方には感謝を。
では、お疲れさまでした。
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初めまして

いつも楽しく見ています。
艦これスレの資料の大半はobjectさんの資料ですか、割とそうかもしれないですね。
このブログは私の場合、神威と山城の通信用紙の画像検索でたどりつきましたからね。
まあこういう貴重な資料って手に入れにくいですしね…私も手が出しにくいというか…
資金、地方在住というネックもありましてね。あと置き場がない、本だけでもあふれているのに…
でも艦これからミリタリーに入るのは悪くは無いと思います。歴史を知るきっかけはこういうものでもいいわけですしね。
艦これを絡める絡めないにしても資料を見られる事は本当に貴重だと思いますので今後もよろしくお願いします。
[ 2014/08/03 10:41 ] [ 編集 ]

Re: 初めまして

いや、申し訳ないです。
ありがとうございます。
実は、資料を出すにあたって食いつきがいいように何も知らないふりをしたりしましたので、その懺悔の意味を含んでの白状でした。皆さん、とっくにお気づきだったと思いますが(汗)
実は、貴重な資料ほど値段的には安いといいましょうか、ぱっと見分からないのでそういう面では大変です。
保存や管理に関しても、私はたまたま指導していただける方がいてなんとかやっていけている状態です。
正直、こういった資料は自己満足を多大に含みますので、戦史関係の本を読むということもりっぱな研究だと思います。

また、艦これによって海軍が再認識されることは喜ばしいですが、主観的ではなく客観的に見ていただけるように願うばかりです。
一方的な海軍擁護者にもなって欲しくないな〜っと。
シンパの私が言えることじゃないですねw

ブログを始めたきっかけがスレと資料公開ですので、艦これのお陰かもしれません。
でも、今ではこういったコメントで続けられていってます。
今後ともよろしくお願いします。
[ 2014/08/03 12:40 ] [ 編集 ]

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[ 2014/08/04 09:23 ] [ 編集 ]

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[ 2015/08/13 12:39 ] [ 編集 ]

Re: 桑折英三郎氏について

申し訳ございませんが、私からそういった情報を出すわけには参りませんのでご了承下さい。
原宿に水交会という法人がありまして、期のご遺族様も所属しておられます。
そちらにご依頼下さい。
[ 2015/08/13 13:37 ] [ 編集 ]

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[ 2016/07/01 01:56 ] [ 編集 ]

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