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戦艦榛名 艦内新聞 昭和10年度

戦艦榛名の艦内新聞の昭和10年度分のスキャンと分析が終わりましたので、
こちらで説明していきたいと思います。

まず、艦内新聞そのものに対する所感なのですが、大変面白い資料です。
見ていくごとに新たな発見があります。
また、歴史に翻弄されていく艦娘(すいません、提督なのです)を見るととても考えさせられるものがあります。
今回、発見した艦内新聞は支那事変最中の昭和10年から12年の時期の新聞です。
榛名も37年から中国方面に行かされるのですが、まだ硝煙の中には行ってない狭間の時期です。
しかし、記事には事変のことが目立つようになっていきますし、どんどん戦時色が濃くなって行きます。
そんな中で水兵=国民がどのように考え、どのように行動していったかが分かるのが本資料だと思いますので、
どうか、この資料を埋もれさせないように協力をお願いする次第です。
さて、ここから艦内新聞の中身で私が面白いと思った記事をピックアップして説明していきたいと思います。

まず、昭和10年10月の艦内新聞です。
まずはじめに今週二訓が目に止まりました。
今週二訓

乗員の榛名!榛名!な感じが出ていい標語だと思いますw
この気持ちがわかる某ゲーム提督さんも多いのではないでしょうか?w

次のページを見てみると
教育はじめ

海軍の初年度の教育開始が12月1日から始まることが分かります。
1月1日からじゃないんだなー、と海軍の行動様式がよく分かりますね。

その下に「はるないろは歌」がありました。
いろは歌

『榛名のためには全力傾注!』いいっすね〜、愛が溢れてますね〜

最後にはるな週報(まだ日刊じゃなくて週刊みたいです)の業態説明?です。
発刊

艦内新聞は副長編集で刊行してるようです。
この副長というのは艦長を補佐する士官のことで、主に中佐です。
ようは艦のナンバー2が艦内新聞を作っていたわけではないんですが、管轄していたということになりますね。
これにはびっくりしました。てっきり水兵のみでやってたという認識だったので。
この時の艦長は有名な小沢治三郎大佐(のち中将、最後の聯合艦隊司令長官)なんですが、この時期の副長は誰だったか気になるので知ってる方いましたら教えて下さい。


次に昭和10年12月6日の週報を説明したいと思います。
この紙面は現在もご存命の崇仁親王が三笠宮になった記事などありましたが、
特に目を引いたのが”衛生三訓”です。
衛生三訓

♡がかわいいですね、この時期から使っていたんですねー。
あと、タムシの画もかわいいw


昭和10年最後の紙面の12月13日の紙面なんですが、
がっつり第一艦隊の行動予定が書いてありました。
艦隊行動

また、四月上旬の榛名の行動予定も書いてあります。
四月上旬行動予定

いいんですかねー、と思ってると”艦外に対しては極秘絶対厳守の事”と書いてあります。
まぁ、艦の行動分からないとどうしようもないですが、1400人の内、うっかり家族とかに話しちゃった人もいるんじゃないでしょうか?w
後述しますが、11年の2月26日には”ある事件”が起こりまして、この予定通りには行かないのです・・・・・

また、広告もありました。
広告

なんというか、もう立派な新聞ですよね。


う〜ん、艦内新聞、予想以上に面白い!
歴史好きにはたまらない!
次は11年度の新聞を紹介する予定ですが、枚数が多いので何回かに分けていこうと思います。
スキャンもまだまだ終わってないので、末永くお付き合いいただけたらと思います。
10年度はメールで問い合わせていただければ配布しますので、お気軽に申し出て下さい。
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