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終戦後の海軍兵学校からの入学案内

海軍兵学校は戦前、戦中の男児なら誰しも「行ってみたい!」と陸士と共に謳われた世界三大海軍学校のひとつです。
しかし、戦い空しく敗れて海兵生徒達はどんな戦後を歩むことになったのでしょうか?
今回はそんな海軍兵学校生徒の一面を考えさせられる資料です。

<海軍兵学校とは?>
まず、海軍兵学校とは何なのか、を書いていこうと思います。
海軍兵学校は1869年に明治政府によって東京・築地に設立された海軍操練所が始まりです。
その後、1870年に海軍兵学寮と改名され、1876年には海軍兵学校となります。
1881年に横須賀分校が海軍機関学校になり、1882年には兵学校は江田島移転となりました。
主な目的は海軍士官の養成です。みなさんが知ってる有名な士官はほぼ全員海兵、海機、海経のどれか出身です。
海軍の学校で同期はクラス、三校の同年代の期はコレスと呼ばれています。
そして、このクラス、コレスは階級を超えて強い団結を持っていると言われています。
さてさて、この海軍兵学校に入るにはもちろんかなりの難易度の試験を受けて、身体測定をクリアしなければならなかったのですが、
合格すると電報で「カイヘイガウカク サイヨウイイン」と来て、それに「サイヨウヲキボウス」と返電を打てば、
晴れて江田島に行けたのです。
そんな採用予定者には江田島の海軍生徒採用試験委員から入学のあれこれの説明冊子が届くのですが、
今回はそれを紹介しようと思います。

まず、封筒からです。
封筒

受取人の部分を編集していますが、海軍兵学校76期の方の物です。
海軍の赤い判子と海軍生徒採用試験委員という差し出しが見えると思います。

次に海軍兵学校採用予定者への案内冊子ですが、通常の場合の物をまずは紹介します。
心得

この心得は12ページからなる江田島への行き方、江田島への短艇の時間、入港前の健康診断や予防接種などの説明がなされています。

次に誓約書です。
誓約書

誓約書 例

少し加工していますが、今の就職にも必要な誓約書みたいな感じです。
時代ごとに海軍大臣の名前が違うので、集めてみるのも面白いかもしれません。
他にも最終試験継続者心得がありますが、先に説明したようなことが書いてあります。


次に、悲しいことに海軍兵学校が無くなってしまうのでそれに関する書類です。
この手紙、差し出しが20年の9月23日になってます。

今後の心得並びに参考事項についてです。
今後の心得01

今後の心得02

海軍兵学校卒業者は短大卒業と同じ資格が与えられるのですが、彼ら予定者、並びに在校者には中等学校復帰と編入の説明がなされています。
例えば、そのまま大学の試験を受けたり中途入学が認められていたのです。
また、海軍省復員援護局(後の第二復員省復員援護局)にて就職や今後の生活への援助がなされる記載もあります。
このように、兵学校生徒の前途をなんとか探そうとする海軍省の苦労が読み取れますが、その後の彼ら生徒の苦労はなかなか大変なものがあったようです。
戦争に負けるとはこういうことです。10代そこそこの少年達の心情を思うと胸に来るものがあります。

最後に海軍兵学校校長 栗田健男中将からの訓示です。
訓示

栗田健男中将は栗田ターンで有名な方ですが、この訓示には涙無しでは読めないほど深く詫びの気持ちがこもっているなと感じました。
70期以降はろくに勉強も出来ずに、世に出ても苦労したと思いますが
そんな中でも江田島精神は忘れなかったとよく聞きます。
戦争と国家に青春を捧げ、惜しくも敗れた彼らのその失われた青春の上に我々が暮らしているんだと
よくよく感謝しなければならないと思います。

昨今、軍事関係のアニメやゲーム・書籍が人気で日本軍をテーマ・モチーフにした作品もあるなかで
こういうことにも目を向けられるべき、いや、こういうことこそ再認識していかなければならないと思います。
海軍兵学校の入学案内の終戦時版でした。
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