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海兵37期クラスヘッド 井上成美大将の書簡

遂にこの時がやって参りました。
なんと、今回、我が、手元に、井上さんの、書簡が、届きました!

長かったよ〜、井上さん曰く字が下手だから書く事嫌いということで、
あんまり書とか残ってないイメージなんですよね。
だから、あんまり井上成美の書簡等は残ってないと思ったんですよ。
逆に山本さんとか米内さんの書とか書簡とかはよく残ってます。
とりあえず、米内さん、井上さんのは手に入ったので、あとは山本さんを手に入れれば一応の完成は見れますね。
あと、難しいのは私が筆よりペンの字のほうが好きなので大変です。
現在、掛け軸の値段が暴落してるので欲しい方は今がチャンスだと思いますよ。
では、ぼちぼち始めたいと思います。
横須賀

まず、私のブログで井上さんの紹介が出来るとは・・・・

IS.jpg
<海軍大将 井上成美>

明42(1909).11.19 候補生 宗谷乗組
明43(1910). 7.16 三笠乗組
明43(1910).12. 1 春日乗組
明43(1910).12.15 海軍少尉
明44(1911). 1.18 鞍馬乗組
明45(1912). 4.24 砲術校普通科学生
大元(1912). 8. 9 水雷校普通科学生
大元(1912).12. 1 海軍中尉
大 2(1913). 2.10 高千穂乗組
大 2(1913). 9.26 比叡乗組
大 3(1914). 7.19 第17駆逐隊附
大 4(1915).12.13 海軍大尉 扶桑分隊長
大 5(1916).12. 1 海大乙種学生
大 6(1917). 5. 1 海大専修学生
大 6(1917).12. 1 淀航海長
大 7(1918).12. 1 瑞西国駐在
大10(1921). 9. 1 仏国駐在
大10(1921).12. 1 海軍少佐 命帰朝
大11(1922). 3. 1 球磨航海長兼分隊長
大11(1922).12. 1 海大甲種学生
大13(1924).12. 1 軍務局局員
大14(1925).12. 1 海軍中佐
昭 2(1927).10. 1 軍令部出仕
昭 2(1927).11. 1 在伊国大使館附武官兼艦本造船造兵監督兼航本造兵監督官
昭 4(1929). 8. 1 命帰朝
昭 4(1929).11.30 海軍大佐
昭 5(1930). 1.10 海軍大学校教官
昭 7(1932).10. 1 軍令部出仕兼海軍省出仕
昭 7(1932).11. 1 軍務局第一課長
昭 8(1933). 9.20 横須賀鎮守府附
昭 8(1933).11.15 比叡艦長
昭10(1935). 8. 1 横須賀鎮守府附
昭10(1935).11.15 海軍少将 横鎮参謀長
昭11(1936).11.16 軍令部出仕兼海軍省出仕
昭12(1937).10.20 軍務局長兼将官会議議員
昭14(1939).10.18 軍令部出仕
昭14(1939).10.23 支那派遣艦隊参謀長兼第三艦隊参謀長
昭14(1939).11.15 海軍中将 支那派遣艦隊参謀長
昭15(1940).10. 1 航空本部長
昭16(1941). 8.11 第四艦隊司令長官
昭17(1942).10.26 海軍兵学校校長
昭19(1944). 8. 5 海軍次官兼将官会議議員
昭19(1944).11. 4 海軍次官兼艦政本部長兼将官会議議員
昭19(1944).11.18 海軍次官兼将官会議議員
昭20(1945). 5. 1 海軍次官兼航空本部長兼将官会議議員
昭20(1945). 5.15 海軍大将 軍事参議官
昭20(1945).10.10 待命
昭20(1945).10.15 予備役
昭50(1975).12.15 歿 (86)

もうね、ここに来てる方々には説明は不要でしょう。
そうです、最後の海軍大将として有名な剃刀井上です。
米内山本井上の海軍左派トリオとして最後まで三国同盟に反対し、終戦時に際しても米内の懐刀として頑張った海軍軍人です。
詳しくは伝記刊行会編纂の井上成美がおすすめです。
兎に角、そんな超有名な軍人の書簡が手に入るなんてものすごいことだと思います。
苦節2年、ようやく手に入りました。
では、心行くまで井上さんの字をお楽しみ下さい。

Inoue_the Bureau of Naval Affairs01

Inoue_the Bureau of Naval Affairs02

Inoue_the Bureau of Naval Affairs03

Inoue_the Bureau of Naval Affairs04

今回も郵史日乗のGANさんに後半手伝っていただきました。

差し出し日付は昭和14年3月3日、ちょうど米内光政が海軍大臣、山本五十六が海軍次官、そして、井上成美が軍務局長として三国同盟に強硬に反対していた、一番きつかった時期です。
軍務局長

軍務局長時代の写真です。陸軍軍人と歓談している写真はこの一枚しかないみたいです。

内容は海軍省勤務の井上さんが書簡中にある三川さん(当時、軍令部第二部長だった三川軍一だと思われる)に同期の藤森清一朗少将の転勤を省内で聞いたんでしょう。
軍令部と海軍省は同じ建物内ですから。
特に軍令部第二部は出師準備、海岸防御、人員補充、需品補充、海運計画、国家総動員などの国防関係を担当する部署なので、その三川部長から同期の転勤を知らされたのでしょう。
だから、同期のよしみで3月10日附の情報を内密にしてくれと書きながら教えてあげている内容です。
こういったことは同期生、または親しい先輩後輩の間ではよくあったことです。
ですが、まさか、規則に五月蝿いイメージのある井上さんがこういったことをやっていたことはすごくびっくりしました。
しかし、封筒に親展じゃなくてわざわざ"私"という字を付けているところがすごく彼らしいです。

公式な記録では、岩村清一中将・大川内伝七中将とは親友だったことが書かれていますが、
こういった書簡を見てみると、
藤森清一朗

藤森少将とも、仲が良かったのかもしれないですね。(↑画像転載複製禁止)

この井上さんのクラスである37期はまぁ、かなり独特なクラスです。
太平洋戦争中は中間管理職、もしくは指揮官として戦ったクラスですが、戦死者はいないです。
また、大戦中に少将・中将だった方々が多いので出てくることも多いし、クラスで順に同じ役職に付いた例もものすごく多いです。
例えば、井上さんが軍務局長の次に付いた支那派遣艦隊参謀長は前任者が同期の草鹿任一中将、後任は大川内伝七中将という三連続37期という配置になったりしてます。
支那参謀長クラス

その時に、前任者草鹿さんと撮った写真がありました。
二連続同期はまだしもこういったことは稀だと思います。
井上さんは第四艦隊司令長官の後に兵学校校長になりますが、前任者は草鹿任一中将、後任は大川内伝七中将、そして次に小松輝久中将が続くという37期四連続配置という前代未聞のことも起こっています。
兎に角、かなり特殊なクラスなのですが、後半は井上さんのことなどでギクシャクしてたみたいです。
井上さんの伝記を読んでも、同期の方の冷たい対応が目につきます。
海兵37期は本当はどうだったのか、それを知る為にも書簡史料は大変重要な物だと思います。
これからも血眼に探して行きたいと思います。
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[ 2016/11/15 02:38 ] [ 編集 ]

いいものを見せていただきました。

ありがとうございました。
[ 2017/01/05 00:08 ] [ 編集 ]

Re: いいものを見せていただきました。

こちらこそコメントありがとうございます。
[ 2017/06/11 00:26 ] [ 編集 ]

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