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海軍大学校甲種27期、28期 時間割

艦これアニメ、4話見ました。
なんというか、日常パートの脚本はもうちょっとどうにかならないんでしょうかね。
なんでしょう、セリフも相変わらずの使い回しですし、
金剛姉妹が可愛くなかったら怒ってました。金剛型、全員アホの子です(狂喜)。
あとね、如月の遺品を軍艦旗で水葬するとか、
第六駆逐隊が葬送するとか、そういう、"戦死"というものをもうちょっと扱うほうがよかったのでは?
如月が死んで、周りがさばさばしてたのはすごくよかった。
だから、戦死ということにもうちょっと時間を割いて欲しかったです。
今の所、実は島風すごく強いんじゃないか?
という感想しか無いですね。
今回はセイロン沖?それともクリスマス島?よく分かりません。
4隻揃うならセイロンですかね?
次回は加賀さんが五航戦の子なんかといっしょにしないでって言ってました。
もしかすると、次回はミッドウェー?!
期待です。

さて、前置き長くなりましたが、
今回は海軍大学校の時間割です。
大した物ではないですが、海軍大学校の説明はあまりネット上にも無いようなので、
大学校の説明メインでやろうと思います。
お付き合い下さい。
0010_2.jpg

※相当文量が多いので、続きを読むではなくて別窓でご覧下さい。
さて、海軍兵学校は海軍の士官を育てるための教育機関ですが、
海軍大学校は何をするための学校だったんでしょうか?

まずは海軍士官の経歴を説明しようと思います。
海軍士官になるには、まずは海軍兵学校に進む必要が有ります。
確かに兵から特務士官になる道はありますが、特務は特務です。
大尉までしか行けません。
その兵学校を卒業するとすぐに少尉候補生という階級になります。
階級章は桜も無い金線だけですが、准士官(兵曹長)よりはえらい階級になります。
少尉候補生の制服はあるので近いうちに紹介しますね。
この候補生、一応軍教育は受けたとはいえ海軍士官としては生まれたてのヒヨコちゃんです。
ですので、江田島で卒業式をしたらそのまま練習艦隊に乗り込みます。
具体例を出したほうが分かりやすいと思うので、海兵61期の板倉光馬少佐の例で説明します。

板倉少佐は昭和8年11月18日に兵学校を卒業し、そのまま練習艦隊に乗艦、
翌年2月15日まで内地航海をして軍艦の航海の基本的なことを実習します。
内地航海の最終目的地はだいたい横須賀で、そこから約半年間、遠洋航海に出ます。
この遠洋航海では毎年アメリカかオーストラリアかヨーロッパかに行くようになっていました。
ですが、戦争などで中止になることもあります。詳しくはwikiで → 練習艦隊
板倉少佐はスエズ経由で地中海の旅です。
官費で海外見物に行けるので、当時としてはものすごい待遇だったと思います。

遠洋航海から帰ると、そこで乗り込む艦を命ぜられます。
ハンモックナンバーによって勤務する艦隊などが変わってきますので候補生は大変です。
板倉少佐は昭和9年7月31日附で第五艦隊の重巡足柄の砲術士として乗り組みを命ぜられました。
上の方の人達は聯合艦隊配属ですからなんとやらですね。
この艦隊配属で8〜9ヶ月初級士官の仕事のイロハを習ったところで、
今度は術科講習員というのにならされます。
61期は二つの班に別れて、砲術学校、通信学校、水雷学校、霞ヶ浦航空隊でそれぞれ1ヶ月ずつ専門教育を受けます。
この時に自分のその後の専攻を選ぶのですが、航空科士官だけは霞ヶ浦航空隊で適性検査に合格しなければなれません。
この術科講習員、候補生の時か少尉任官後か55期前後で違うみたいです。
そんなこんなで教育を受けて、昭和10年4月1日、板倉少佐は少尉に任官します。
任官後はガンルーム士官として各艦に勤務、昭和11年12月1日に中尉に任官。
昭和13年11月には大尉に進級します。
どの士官もだいたいここまでは同じ様な進み方だと思います。
そして、大尉からそれぞれの道が別れてきます。
ずばり、海軍大学校甲種に進む者、砲術、水雷学校の高等科に進む者、その他の分かれ道です。
海軍大学校甲種の入学試験受験資格は任官から10年以上勤務した士官で、だいたい大尉少佐である中堅士官がこれにあたります。
術科学校高等科は大尉になってから1年以上たった士官に受験資格が与えられます。
板倉少佐は水雷学校の高等科から潜水学校の乙種に入っています。
潜水艦艦長になるために潜水学校に入ったんでしょう。

このように海軍軍人は意外と学校勤務が多いのですが、その中で最高の学府が海軍大学校です。
各学校はとりあえず置いといて、海軍大学校の説明をしていこうと思います。
海軍大学校は明治21年7月に勅令によって設立されました。
教育理念?は「海軍大学校は海軍将校に高等の兵術を教授する所とす」です。
設立当初の生徒は、
甲号:海上勤務1年以上の大尉にして砲術長水雷長航海長機関長及び砲術水雷航海機関各科の職に適する学術を修むる者
乙号:佐官及び海上勤務1年以上の大尉にして必修科及び任意科を修むる者
丙号:海上勤務1年以上の少尉にして高等の数学物理を修むる者
の3つの分けられていました。
これらの中で甲号が一番多く、後の砲術、水雷などの高等科学生がこれにあたります。
学業期間は甲、乙号が1年、丙号が5ヶ月となっていました。
↓以下、改正が続きます。
明治23年2月8日 達第45号
甲号:海上勤務1年以上の大尉にして砲術長水雷長航海長機関長及び砲術水雷航海機関各科の職に適する学術を修むる者(入学試験必須)
乙号:佐官及び海上勤務1年以上の大尉にして必修科及び任意科を修むる者(任命か志願)
丙号:海上勤務1年以上の少尉にして高等の数学物理を修むる者(入学試験必須)

明治24年5月28日 勅令第47号 丙号を1ヵ年教育とす。

明治26年11月29日 勅令第216号
学科は将校科、機関科、軍医科とし以上の各科目を履修する各学生を海軍大学校学生と称し、
外に選科学生を置き任意の学科を選修せしむ。
学年は将校科、機関科各1年半、軍医科1年とす。

明治30年9月21日 勅令第321号
将校科、機関科、軍医科は31年3月31日限りで廃止。
将校科甲種:枢要の職員又は高級指揮官の素養を為す為、高等の兵学及びその他の学術を教授す。
将校科乙種:砲術、水雷術若しくは航海術の学理を教授す。
機関科学生:機関に関する学術を教授す。
選科学生:任意の学科を選修せしむ。
の4種に分けます。この甲種が海軍大学校甲種学生として将官への登竜門的存在になります。

明治32年3月30日、31日 勅令第85号 達第66号
学生を将校科甲種、将校科乙種、機関科長期、機関科短期、選科の5種に区別す。
修学期間は将校科甲種2年、将校科乙種1年、機関科長期2年、機関科短期1年、選科凡そ1カ年。

明治36年12月5日 勅令第272号
機関科長期、機関科短期を機関科甲種、機関科乙種に改正。
また、将校科甲種学生に再び海上勤務の必要を認め2ヵ年以上としたる等

明治40年4月20日 勅令第134号
学生を甲、乙、専修、機関、選科の5種とす。
甲種学生:今までの将校科甲種
乙種学生:今までの将校科乙種
専修学生:今までの機関科甲種+乙種及び機関科の教程を卒業したる海軍大尉中尉及び機関少佐、機関大佐たるものにして、将校にありては航海術、機関官にありては機関術を専修するもの。
機関学生:今までの機関科乙種
選科学生:今までの選科学生

明治40年4月23日 達第40号
甲種学生:1年6ヶ月
乙種学生:6ヶ月
専修学生:航海科は6ヶ月、機関科は1年
選科学生:約1ヵ年

明治42年1月 島村教育本部長代理→斎藤海軍大臣
外国語専修のための選科学生採用内規を定む。
外国語学校に就き約1ヵ年これを専修す。
採用人員:露、仏、独各3人。西、清各2人。伊、韓、馬各1人の計16名。

明治42年7月24日 達第95号
所属長官は推薦甲種学生(乙種学生及び機関学生も同様)候補者の精選を期する為部下所轄長其の他が会同審査すること。

明治43年10月20日 達第140号
甲種学生採用最終試験と共に身体検査をなさしむること

大正3年5月23日 達第82号
甲種学生の修業期間を2ヵ年に延長す。

大正4年7月29日 達第104号
機関学生と選科学生の修業期間を2ヵ年と1年乃至3年に改む。

大正6年1月29日 勅令第12号
航空勤務を海上勤務と見なす。

大正6年8月15日 勅令第317号 達第129号
乙種学生廃止に伴うものとして、本校の学生を甲種学生、航海学生、機関学生、選科学生の四種にす。
甲種学生:受験資格は海軍大尉任官後2ヵ年以上の海上(航空)勤務を有するもの、海軍大尉任官後6ヵ年以内の者。但し受験回数は3回限り。修業期間2年。
航海科学生:今までの航海術専修学生。海軍大尉又は中尉にして航海長に必要なる学術技能を研究修得するものにして、海軍大臣銓衡の上之を命ず。期間1年。
機関学生:海軍機関大尉又は機関中尉にして機関長に必要なる学術技能を研究修得するものにして、海軍大臣銓衡の上之を命ず。期間2年。
選科学生:機関科専修学生はこれに含まれる。期間1年乃至3年。

大正9年4月29日 達第79号
甲種学生受験資格を二、海軍大尉に任官後6ヵ年以内の者、但し受験回数は3回に改正。
駐在又は外国出張の為受験機会なかりし者は7ヵ年に延長す。

大正10年12月15日 達第220号
甲種学生候補者資格の大尉任官後2ヵ年の海上勤務を1ヵ年に改む。

大正15年11月27日 勅令第344号
学生より航海学生を削る。

だいたい、学生に関することは以上です。
残ってる資料が微妙なのしかないのでこんな感じになっちゃいました。

海軍大学校は設立当初は築地にあったのですが、
0010_2.jpg

いろいろあって、目黒駅近くに引っ越します。
157.png

15701.png

建物の写真がないので、NHKの日本ニュースの映像からの抜粋です。
募集人員は
甲種第1期から4期までは各10名前後、
5期から13期までが毎年10〜17名、
14期から33期までが約20名、
34期からは時局変化に伴い30名前後。
士官の数からすればものすごく少ない募集人員であると分かると思います。
海軍兵学校もエリート学校ですが、海大はさらにそのエリートを篩にかけるものですので、
エリートの中のエリートしか入れない学校になっていました。

その海軍大学校の試験内容は、
甲種対策:一定時間内に与えられた問題(砲術、水雷などの術科)について解答する。参考書等は許されない。
乙種対策:一定日時(約1週間とする等)内に、与えられた問題(戦略、戦術問題と精神問題が1問ずつ)について論文を書く。用紙と枚数に制限はあるが、いかなる参考書を見ても、また、先輩などから意見を聞いてもさしつかえない。
外国語:受験者の希望で、英文、仏文または独文を一定時間内に和訳する。辞書の使用はさしつかえない。
これらの試験で募集人員の2倍程度の人員に絞り、
口頭試験:3日間行われ、最初の2日は海軍大学校、最後は海軍省で行われる。試験官による面接試験。
で、募集人員に絞って行くというやり方です。
この口頭試験をいかに乗り切るかが問題で、記述試験は合格でも口頭試験でなかなか受からないという人も結構いたそうです。

しかし、海軍大学校の生徒は現役の中堅士官です。
そして、教官も海軍選り抜きの秀才達です。
そのため、時勢にものすごく影響されます。それをまとめようと思います。

明治25年6月11日 官房第227号
本校学生の入学期は何分の告達あるまで延期せらる。(朝鮮をめぐる情勢か?)

明治25年11月8日
本年12月に入学せしむ可き旨通達せらる。

明治27年6月6日
日清将に釁を啓かんとするに至り、此の日より教官学生続々軍務に就くため授業中止一時休学。

明治29年1月15日
授業再開。

明治33年6月19日
北清事変の為機関学生を除く全部軍職に就き12月まで学業中止。

明治36年12月28日
日露将に釁を啓かんとするにつき、教官学生共に各々軍職に就きたるため授業中止一時休学。

明治38年10月9日
漸次復校す。

だいたい事変戦争はこんなもんですが、
昭和12年からの盧溝橋から始まる事変や太平洋戦争で変則教育が始まります。
甲種第35期は教育取り止め、36期は3ヶ月短縮、昭和12年には生徒採用無し、37期は8ヶ月短縮、昭和14年も採用生徒無し、38期は1年だけ、39期に至っては8ヶ月しか教育期間がありませんでした。

話はちょっと逸れますが、陸軍大学校ではその卒業生に陸大卒業微章を渡していました。
形が天保銭にそっくりだったので天保銭と呼ばれていましたが、
この天保銭があるか無いかで出世に大きく影響したので卒業生を天保銭組と呼び、
卒業生で無い者は無天組と呼ばれ、両者は対立していました。
海軍大学校でも明治24年6月に海軍大学校甲号学生適任證書授与者微章が制定され、
明治30年9月に将校科甲種学生卒業者微章に改定されます。
しかし、大正11年11月23日に弊害を伴う恐れ有りとして廃止されています。
なぜこの話をしたのかと言うと、海大微章はその期間の短さから現在では相当希少な物となっています。
この海大微章を手に入れたのなら海軍コレクションの最大の難関をクリアしたといっても過言ではないと思います。(誰か譲ってくれねぇかな・・・・・・)

以上がだいたいの海大の説明です。
その他聞きたいことがあればコメント等でお知らせ下さい。

海大出身者のほとんどは将官になってますので将官の登竜門というのは伊達ではないと思います。
前置き?が相当長くなりましたが、時間割のほうを見て行きたいと思います。
海大甲種時間割

海大甲種27期と28期の時間割表です。
両期とも20名の学生が在籍しています。

以下、両期の学生の一覧です。
<海大甲種27期>
堀江義一郎少将(43期)  
田中菊松少将(43期)  
三好輝彦少将(43期)
山澄貞次郎少将(44期) 
鹿目善輔少将(44期)
中堂観恵少将(44期)  
大西敬一少将(44期)  
野元為輝少将(44期)
中村勝平少将(45期)・・・アメリカ駐在
千田金二少将(45期)  
古村啓蔵少将(45期)・・・イギリス駐在
山口文次郎少将(45期)・・・アメリカ駐在
鳥居卓哉少佐(45期)・・・優等、アメリカ駐在
富岡定俊少将(45期)・・・首席、フランス駐在
林彙迩少将(45期)  
勝原満好中佐(45期)  
荒木伝少将(45期)  
栗原悦蔵少将(44期)
堀内茂忠少将(46期)  
田口太郎少将(47期)・・・アメリカ駐在
<海大甲種28期>
島本久五郎少将(44期)・・・アメリカ駐在  
一宮義之少将(44期)・・・アメリカ駐在 
小島秀雄少将(44期)・・・ドイツ駐在
朝倉豊次少将(44期)
志波国彬大佐(44期)  
澄川道男少将(45期)・・・フランス駐在 
岡田為次少将(45期)・・・ドイツ駐在
横山義雄中佐(45期)  
上原義雄少将(45期)  
高田利種少将(46期)・・・優等、ドイツ駐在
重永主計少将(46期)  
後藤光太郎少将(46期)  
高田栄少将(46期)  
矢牧章少将(46期)・・・アメリカ駐在
横井俊之少将(46期)
杉浦嘉十中将(46期)
石畑四郎大佐(46期)  
横山一郎少将(47期)・・・首席、アメリカ駐在
直井俊夫大佐(47期)・・・フランス駐在 
黛治夫大佐(47期)・・・アメリカ駐在

wikiがある人にはリンクさせときました。
海大卒業成績が良かったら海外駐在のご褒美がありましたし、海大卒業者はそれだけで海外駐在の機会があったことが分かると思います。
wikiを見たら分かると思いますが、皆さん、相当優秀な方々です。
それを教える教官の面々も大変な面子です。
教官もちょっと纏めてみました。
図上演習谷本馬太郎大佐(海兵35期、海大甲種18期)、野田清大佐(海兵35期、海大甲種17期)
出師準備計画、運輸計画藤森清一朗中佐(海兵37期、海大甲種19期)
戦術:伍賀啓次郎中佐(海兵38期、海大甲種20期)
戦史(27期)新見政一中佐(海兵36期、海大甲種17期)
戦史(28期)高須四郎大佐(海兵35期、海大甲種17期)
軍政:戸苅隆始中佐(海兵37期、海大甲種19期)
陸軍戦術:松村正員大佐(士17期、大28期)
兵棋演習近藤信竹大佐(海兵35期、海大甲種17期)、大川内伝七中佐(海兵37期、海大甲種20期)、伍賀啓次郎中佐(海兵38期、海大甲種20期)
戦務:水戸春造中佐(海兵36期、海大甲種18期)
通信計画:越智孝平中佐(海兵38期、海大甲種22期)
砲熕兵器:不明
防備:福田良三中佐(海兵38期、海大甲種20期)

砲熕兵器と語学の教官が分かる方、いらっしゃいましたらご教授お願いします。
教官はもちろん、最高学府出身の陸海軍軍人達です。
陸海軍軍人は大学校出身者しか採用されてません。
ですが、そんな教官の中でも最高の教官と呼ばれる軍人が2人います。
秋山真之海軍中将と佐藤鉄太郎海軍中将です。
秋山中将は坂の上の雲で有名ですし、ここでも紹介しています。 → 秋山将軍関連資料
佐藤鉄太郎中将も軍政家としてご高名な方です。 → 佐藤鉄太郎中将講述本
その2教官に教えを受けた第5期甲種学生(山梨勝之進大将など)はこの時ほど教官のツブが揃ってた時はない。と回想しています。

戦後、海大の事はほぼ機密指定だったのであまり残っていませんが、海大の授業の講述本が原書房等から復刻されているので興味の有る方は探してみて下さい。

さすがに書きすぎてつかれました。
今回はこれで。
お疲れさまでした。
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真のエリート

陸軍大学校、海軍大学校まで進むとなると本当のエリート中のエリートという事ですね。
陸軍で出世するには陸軍大学校まで進む必要があるとのことですが、海軍の場合別に海軍大学校まで出なくても出世はできるんですよね?例としては木村昌福中将ですよね、ハンモックナンバーも下の方ではあったそうですが、中将まで出世してますし。
逆に陸軍大学校を出ても牟田口廉也みたいなのもいたりと、わからないものですよね。

話は変わりますが艦これ始めてからいろいろ調べましたが、調べる前は海軍善玉、陸軍悪玉と思っていましたが、今はどっちもどっちのような気もしてきましたね。海軍は戦闘機開発でゼロ戦の改造でお茶を濁していたのに対し、陸軍は次々と戦闘機を開発していったり、今でいう揚陸艦の神州丸を建造したりと目の付け所がいいというかなんというか。
かと思えば大学校を出た出ないで対立したり、卒業成績が良くなくても現場に立ち成果を上げたものを出世させたりと、ほかにも思うところがありますが善悪二元論では表せないところがありますね。
[ 2015/01/31 10:30 ] [ 編集 ]

Re: 真のエリート

陸軍も海軍も将官になりたいなら大学校は必須というわけでは確かに無いです。
陸軍は詳しくないですが、海軍には大学校以外にも砲術学校高等科は海大並みの待遇ですし、
両舷直でもなりようはあります。
席次が170人中150位くらいでも努力して海大に入って、中将まで上がった方も居ます。
ただ、海軍将官の履歴を見ると、日華事変や太平洋戦争で平時ならば少将までは行ってないだろうと思われる方々も将官になっています。
条約下で士官採用者を減らしまくったことが原因だと思いますが、そういうケースもあります。
また、中央の役職として考えてみると士官名簿の右肩に甲種マークがある方々が大半を占める(明治期はそうでもない)ので赤煉瓦になりたければ海大出とけよって感じだと思います。
陸軍は旅団・師団長クラスから天保銭組が優遇されていたらしいので陸さんは大変です。

昭和の陸海軍軍部に言えることですが、我が強すぎて、しかもバランス能力も無い、ただのじゃじゃ馬になっちゃってたのが悔やまれます。
正直、日露で勝ちすぎました。お父さんが偉大だとボンボン息子はという感じだと思います。
海兵51期の豊田隈雄大佐の「陸軍は暴力犯、海軍は知能犯、共に陸海軍あるを知って国あるを忘れていた。」という言葉がありますが、自分もこれだと思います。
[ 2015/01/31 11:31 ] [ 編集 ]

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