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海軍少将 人見錚一郎の写真

どーもどーも
最近は暖かいというより暑くなってきましたね。
本当に極端な気温です。

さてさて、今回は写真です。
ただの写真ではありませんよ?
海兵47期海大29期の人見錚一郎少将の遺品です。
多くは語りません。
ただ、ここに来ている方々には分かっていただけていると思います。

そういえば、この前昭和の写真を紹介するbotを作りました。
そこで練習艦隊写真帖の写真も投稿しようと思うのですが、見たいですか?

22354.jpg

※今回も、絶対に無断転載使用禁止でお願いします。
さて、今回の資料である写真の元の持ち主は人見錚一郎少将です。

人見少将は海兵47期卒でレイテ沖海戦では熊野艦長として奮戦し、
熊野沈没時に艦と運命を共にしました。
そんな闘将の写真が手に入るとは・・・
頑張った甲斐がありました。

人見少将の遺品はバラバラに市場に出されており、
ネット上でも何点か確認することが出来ます。→ 雑賀孫市・まごーんの(中の人)ブログ(仮)

まぁ資料の出方等色々と言いたいことはありますが、そこは置いといて写真を貼って行こうと思います。


まずは、人見少将の個人写真から見て行きたいと思います。
009.jpg

大尉時代の人見錚一郎少将です。
まだ、若干のあどけなさも残る青年士官です。

この青年が、
010.jpg

一端の海軍軍人になりました。
第三戦隊参謀時代、40歳頃の写真です。
この写真、自分の中では一番のお気に入りです。


次は、少将の海軍生活が垣間見える写真を貼っていきます。
006.jpg

艦橋の形が古いです。
大正期の写真だと思います。
艦名等は分からなかったので、詳しい方、教えて下さい。

002.jpg

ノシマと書かれた短艇があります。
人見少将は1925年6月10日から11月15日まで給炭艦「野島」の分隊長を勤めていますので、
その時の写真だと思います。

004.jpg

海軍の航空基地だと思われます。
ただ、人見少将は航空基地勤務の履歴はないのでこの写真がいつ撮られたかは謎です。

003.jpg

これもまた詳細不明の写真です。
何かの艦船の写真でしょう。

016.jpg

艦上でくつろぐ海軍士官さんです。
後ろには軍艦旗が見えます。
どの艦かは分かりませんが、後甲板での写真だと思います。

017.jpg

人見少将と上官の方でしょうか?
とてもほほえましい写真です。

005.jpg

こちらの写真はかなり不鮮明ですが、着ている服から昭和18年以降の写真だと思います。
南方っぽい雰囲気から7S司令部附の頃の写真でしょうか?
大佐の頃の写真だと思います。

024.jpg

参謀飾緒を付けていて階級章は少佐なので、第三戦隊(第七戦隊)参謀の時の写真だと思います。
写っている人は皆同階級なので、同期で集まった時の写真でしょうか?
後ろに写っているのは金剛型戦艦でしょうか?
なんだか楽しそうです。

023.jpg

少佐時の写真で、海兵教官兼監事の頃の写真だと思われます。
隣の中佐は通礼装で人見少将は礼装という違いが面白いポイントです。
また、建物の入り口に勅任官以上休憩所、奏任官以上休憩所という貼り紙が確認出来ると思います。
勅任官以上は中将と少将で、奏任官はそれ以外の海軍士官です。
休憩所があるので、海軍兵学校の卒業式の時の写真と思われます。

人見少将は、浅間乗組の時に練習艦隊に参加しています。
その時の写真っぽいのがあるので、紹介したいと思います。
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020.jpg

浅間艦上でのアットホームの時に艦に来た訪問者との記念写真だと思います。
人見少将が乗り込んだ時期の練習艦隊は大正11年の練習艦隊で海兵50期が参加しています。
行き先はホノルル、ロサンジェルス、パナマ運河、リオ・デ・ジャネイロ、ブエノス・アイレス、ケープタウン、ダーバン、コロンボ、シンガポール、香港です。

018.jpg

019.jpg

1924年1月20日に、ランセストンという所にカム博士という人を訪問した際の写真だそうです。

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どこぞの上陸地で連れ立って歩く海軍軍人たちです。

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どこかの先住民のテントだと思いますが、よく分かりません。
水兵さんや外套を着た海軍軍人が見えるので、見学旅行の一コマでしょう。


最後に、人見少将の勤務した艦隊や部署の集合写真を見ていこうと思います。
015.jpg

参謀少佐時代なので、第三戦隊(第七戦隊)の幕僚写真だと思います。
前列真ん中の人物がどうしても小澤治三郎に見えてしまうのは私だけでしょうか?w

011.jpg

013.jpg

参謀中佐時代ですので、第三戦隊時代の写真です。
この時の司令官は南雲忠一大将で、ちゃんとお顔が確認出来ます。
南雲忠一の生写真ですよ?感動です。
ちょっと退色が激しかったので、
012.jpg

戻してみました。
この時の3Sの陣容は、
司令官:南雲忠一
機関長:岡野篤夫
先任参謀:人見錚一郎
参謀:櫛引誠雄
参謀:正木生虎
です。
探してみて下さい。

014.jpg

最後は、宮様が写っているこちらの写真です。
これは教育局第二課長時代の写真です。
教育局長や高松宮宣仁王殿下、その副官たちと写っています。
この数年後に戦死されるので、最晩年の写真だと思います。
しかし、遂に宮様の生写真まで出てきてしまいました・・・
大切にしないと罰が当たりますね。


今回は、人見少将の写真を紹介しました。
本当は遺族の元にあるべき写真なんでしょうが、バラバラに出されてしまいました。
こういうことは良くあるのですが、悲しいことです。
お金になることが分かっているなら一括で出してくれるんでしょうか?
悲しいことですが、お金で認知させるのが最善なのかもしれません。
以上で終わりです。お疲れさまでした。
関連記事
[ 2015/05/07 21:56 ] 海軍実物資料 軍人の写真 | TB(0) | CM(2)

写真の軽巡

天龍型、球磨型、長良型のどれかでしょうね(まあ当然そうなりますが)煙突三本の軽巡みたいですし。艦橋の脇に大砲が無ければ天龍型でしょうけどこの写真からだと艦橋の前にある大砲二基と艦尾の大砲一基しか確認できないですね…
[ 2015/05/07 23:15 ] [ 編集 ]

Re: 写真の軽巡

写真の写りが悪いので、どうしようもないですよね。
艦橋も昭和の時のだと見分けられるのですが、これじゃあ・・・
というわけで、私はお手上げですw
[ 2015/05/09 11:30 ] [ 編集 ]

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