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海軍中将 小沢治三郎の書簡

いやぁ、御無沙汰でした

全然史料更新出来なかったので、色々と放置ぎみでした。

今回は誰でも知ってる鬼瓦のようなお顔のあの人の書簡です。
これもまた私の愛しの海兵37期出身なんで相当苦労しましたが手に入れました。

その判読がやっと終わったので、出して行きたいと思います。
10_201506111446275a7.jpg

さてさて、もう前置きでほとんどの方が分かったと思いますが、
今回の書簡は最後の聯合艦隊司令長官として有名な小沢治三郎中将の書簡です。
いやぁ、小沢さんですよ?
すごくないすか?
というわけで出し惜しみしてたんですが、ようやく出します。
楽しんで下さい。

まずは、ご紹介まで・・・
Jisaburo_Ozawa_1941.jpg
<海軍中将 小沢治三郎>

明42(1909).11.19 候補生 宗谷乗組
明43(1910). 7.16 三笠乗組
明43(1910).12. 1 春日乗組
明43(1910).12.15 海軍少尉
明45(1912). 4.24 砲術校普通科学生
大元(1912). 8. 9 水雷校普通科学生
大元(1912).12. 1 海軍中尉
大元(1912).12.20 霰乗組
大 2(1913).12. 1 比叡乗組
大 4(1915). 2. 8 千歳乗組
大 4(1915). 2.25 横須賀海兵団附
大 4(1915).12.13 海軍大尉 河内分隊長
大 5(1916).12. 1 海大乙種学生
大 6(1917). 5. 1 水雷校高等科学生
大 6(1917).12. 1 第二艇隊艇長兼水雷校教官
大 7(1918).11. 1 檜乗組
大 8(1919).12. 1 海軍大学校甲種学生
大10(1921).12. 1 海軍少佐 竹駆逐艦長
大11(1922).12. 1 馬公要港部参謀
大12(1923). 8. 5 島風駆逐艦長心得
大14(1925). 1.20 第三号駆逐艦長
大14(1925).11.10 金剛水雷長
大15(1926). 5. 7 第一艦隊参謀兼聯合艦隊参謀
大15(1926).12. 1 海軍中佐 第一水雷戦隊参謀
昭 2(1927).12. 1 水雷校教官兼砲術校教官兼春日教官
昭 4(1929).11.30 横須賀鎮守府附
昭 4(1929).12. 1 軍令部出仕
昭 5(1930). 2. 5 欧米各国出張
昭 5(1930).11. 1 帰朝
昭 5(1930).12. 1 海軍大佐 第一駆逐隊司令
昭 6(1931). 1.31 第四駆逐隊司令
昭 6(1931). 4.10 横須賀鎮守府附
昭 6(1931).10.10 第十一駆逐隊司令
昭 6(1931).12. 1 海軍大学校教官兼陸軍大学校兵学教官
昭 7(1932). 3. 1 海軍大学校教官
昭 9(1934).11.15 摩耶艦長
昭10(1935).10.28 榛名艦長
昭11(1936).12. 1 海軍少将 海軍大学校教官
昭12(1937). 2.18 聯合艦隊参謀長兼第一艦隊参謀長
昭12(1937).11.15 第八戦隊司令官
昭13(1938).11.15 水雷学校長
昭14(1939).11.15 第一航空戦隊司令官
昭15(1940).11. 1 第三戦隊司令官
昭15(1940).11.15 海軍中将
昭16(1941). 9. 6 海軍大学校長兼高等技術会議議員
昭16(1941).10.18 南遣艦隊司令長官
昭17(1942). 1. 3 第一南遣艦隊司令長官
昭17(1942). 7.14 軍令部出仕
昭17(1942).11.11 第三艦隊司令長官
昭19(1944). 3. 1 第一機動艦隊長官兼第三艦隊司令長官
昭19(1944).11.15 軍令部出仕
昭19(1944).11.18 軍令部次長兼海軍大学校長兼大本営海軍通信部部長
昭19(1944).12. 1 軍令部次長兼海軍大学校長
昭20(1945). 5.19 軍令部出仕
昭20(1945). 5.29 海軍総隊長官兼聯合艦隊司令長官兼海上護衛総隊長官
昭20(1945). 8.25 海軍総隊長官兼聯合艦隊司令長官
昭20(1945).10.10 予備役
昭41(1966).11. 9 亡

特に説明は要らないと思います。
海兵37期海大19期の小沢治三郎中将ですよ。
同期に井上成美大将、草鹿任一中将、大川内伝七中将、小松輝久中将など錚々たる面々がいらっしゃいます。
詳しいことは原書房から出ています『提督 小澤治三郎伝』にありますので、そちらを読んで下さい。

では、早速書簡の方を見て行きたいと思います。
img812.jpg

img813.jpg

img814.jpg

昭和6年5月5日の日付で当時、特務艦間宮の艦長をしていた同期の藤森清一朗少将に送られた書簡です。
当時、大佐で第四駆逐隊の司令官をされていました。
その時の旗艦は駆逐艦太刀風で、前置きにある駆逐艦の画像がそれです。

今回は自分なりにやってみた(ちょっと手伝ってもらった)判読です。
が、T先生よりLineで添削をいただいたので早速更新ですw
img815_20150612180235c49.jpg

文面の内容は、怪我をして大連病院に入院してたけど退院して自宅療養中です。というものなのですが、
はて小沢さん、そんな重傷負ってたんかいなと思って調べてみたのでその記事を抜粋します。

4月4日、聯合艦隊の演習が、青島から旅順、大連に至る海面で実施されたが、
たまたま猛烈な低気圧に襲われ大暴風雨となり、波は高く風速30mに達した。
演習は中止され、駆逐隊は9ノットの速力で航行した。
司令駆逐艦太刀風(艦長田中頼三、先任将校飛田健二郎大尉)の艦橋は猛烈な風浪のため滅茶苦茶に破壊され、
小澤司令はコンパスの横に倒れ顔面に負傷血が流れ、右肋骨2本を折るという重傷を負い、
太刀風は単独大連に回航司令を大連病院に入院させた。


おぉ、書簡にあることそのまんまのことが書かれています。
こういうちゃんとした資料の中に、証拠を見つけられるのは嬉しいものです。
間宮も聯合艦隊所属ですから、大連病院にお見舞いに行ったか、艦隊同じなんで何かしらあったんでしょう。
そして、退院して大丈夫だよという報告の手紙を出したんだと思います。
うん、完璧w
この事故で日本の駆逐艦の艦橋が大幅に改造されたらしい。
何気にこの書簡すごいじゃん。


今回はちゃんと言質が取れた書簡と相成りました。
こういう発見はやっぱりすごく楽しいです。
まだまだ書簡はあるので、せっせと整理していきたいと思います。
後藤英次中将や藤森少将自身のやつもあるよ?
どっちが見たい?
てなわけで、今回はこれにてです。
次は真珠湾攻撃関連の史料のつもりですが、
調査を纏めるのに時間がかかりそうです。
暫くお待ち下さい。
それでは、お疲れさまでした。
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