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海経37期 小豆畑滋氏のアルバム

どーもどーも
最近めっきりと暑くなりましたねぇ
ただ、寒いよりは暑い方が好きですし、冬より夏が好きなので文句は言いません。

さて、今回は海経37期の経理学校生徒の個人アルバムです。
海経37期は昭和19年10月に品川の海軍経理学校に入校しました。
コレスは海兵76期と海機57期です。
最末期の生徒ですので終戦後は大学に入り直し、壮年までの写真がアルバムにはありました。
一人の人生をそのままアルバムにしたような物ですが、とりあえず経理学校時代の写真を紹介したいと思います。

kaikei-tukiji-kousha.jpg

※無断転載使用絶対禁止です

このアルバムの元の持ち主は題にあるように海経37期の小豆畑滋氏の物です。
氏は北野中学校(現、大阪府立北野高等学校)を卒業後、海軍経理学校37期に入校します。
昭和20年に戦争が終わったあとは旧制三高(現、京都大学)に入り、そこから東京大学理科一類に進まれています。
その後、戸田建設に入社し日本の高度経済成長を支えました。
北野中学時代の写真が一番多く、校舎の写真や先生方の写真、生徒の集合写真などかなり大量にありました。
IMG_5611.jpg

IMG_5612.jpg

IMG_5613.jpg

集合写真からは結構な人数が陸士、海兵、海機、海経に行かれたことが分かります。
豆な方だったのだなぁと思います。
大阪府立北野高等学校には最近まで北野中学時代の旧校舎が残っていたそうですが取り壊されてしまったそうです。
大阪府立北野高等学校さんの方で学校史資料として使用されたい場合は提供しますのでご連絡下さい。

さて、今回はそんな氏の経理学校時代の写真を紹介したいと思います。
写真は貼られていた順番で紹介します。
写真には書き込みもあったのでそれも合わせて書いていきますのでゆっくり見てって下さい。
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二号当初(凛としてさすがに?いよいよ三号を締めるか?)

小豆畑滋氏です。
経理学校では眼鏡OKだったことが分かります。
また、生徒服の襟章は真鍮製ではなく織り出しの襟章になっています。

002_20150720132648be1.jpg
天野茂男生ト

同期の方です。

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故瀬古義伯兄 北野中学の先輩海軍機関学校卒業(清廉潔白豪放磊落中学時代音楽部のキャプテンとして喇叭手んの親玉として手荒くシボられたしかしよく我を可愛がって下されたり)

ネーモーな先輩だったらしいです。

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海軍経理学校二号時代(二号生ト帽子をあまりまげ過ぎて一号より兵学校の二号を見倣へと説教を受く。かくて帽子はフラットデッキとなれり散髪して髭を剃らぬためかヂデムサシ)

最後のはよく分かりません。

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一・二分隊 三号総員(廰舎前) S19.10.4


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品川校剣道場にて


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第一分隊総員(廰舎前にて)


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採用予定者(廰舎前)

これは試験を突破してカイケイゴウカクの電報を貰って学校に集められた時の写真です。
全国から様々な人が来ているので服装もまちまちなのがよく分かります。

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父兄と共に 於剣道場


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京都清水寺にて 20.4.30

休暇でしょうか?

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classmateの佐藤守雄


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20.10.9品川にて 入校式 軍人勅諭奉読 台上海軍経理学校長 海軍主計中将紺野逸弥


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"海軍生徒と命ず" 右端石井指導官 最前列一分隊三号


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道場開き 中山範士の模範試合


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教官

真ん中は海経9期の井上健男大佐です。

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品川校 道場開き 御舟先生の模範


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道場開き 祭祀 校長玉串奉呈


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分隊行軍猿峠 高橋生ト 山本生ト


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晩秋 野猿峠より多摩川を眺む


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伍長 分隊監事 三輪生ト


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一号生と排球す 原生ト撮影


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浅野の別荘にて 20.1.1 分隊会の際分隊監事撮影


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坂本克郎生ト


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20.3


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二号生トと分隊監事 三月下旬の分隊行軍


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二号生徒総員


以上で海経時代の写真は終わりです。
毎回疑問なのですが、戦中でも末期でも写真って割と手軽に撮影出来たものなんでしょうか?
カメラとかには詳しくないので疑問に思ってます。
詳しい方教えてくらはい。
とりあえず、今回は写真を紹介するページでした。
お疲れさまでした。
関連記事
[ 2015/07/20 23:54 ] 海軍実物資料 軍人の写真 | TB(0) | CM(4)

戦時中のカメラ

たぶん小型のカメラ、コダックのヴェスト・ポケット・コダックとかコニカのパーレットと言った感じの小型カメラで撮影したのではないかと思います。このあたりだったら普通の人でも手が届く範囲のカメラかと思います。
露出は見た感じ問題ないですが(まあ露出に関しては多少アバウトでも問題ない)ピントは結構外している感じですね。なのでおそらく目測で距離を測るカメラで撮影したんだと思います。
カメラに関しては品質はともかく日本では当時から結構作っていたのでカメラを持っていて人が集まったから記念に撮影という事はあると思います。
ドイツだと軍にかなりの人がカメラを持ち込んでいて写真がかなり残っているという事なのでなお気になる所であります。
[ 2015/07/29 10:48 ] [ 編集 ]

Re: 戦時中のカメラ

戦前でもカメラが身近にあったのですね
これといった場面でしか写真って撮らないのかな〜と思っていました
でも、写真の現像ってお金かかりそうだし、昔は自分で現像してたのでしょうか?
意外と安かったり?
写真の歴史って面白そうです
[ 2015/08/06 01:19 ] [ 編集 ]

現像

現像に関しては自分で現像したり、お店に頼んでいたのでしょう。当時のカメラの説明書にそんなことが書いてありました。
自分で現像する場合ですけども、私もモノクロの現像をしていますが、初期投資一万円くらいでできますし当時もそこまで極端に高いという事は無いと思います。
たぶんこの写真のフィルムは、今のカメラ(と言っても今はデジカメの時代ですが)みたいにフィルムが小さくないので真っ暗な部屋で印画紙(光が当たると黒くなる紙)にフィルムを密着させて電灯で光を当て焼き付ければ十分見られる写真になると思います。
[ 2015/08/07 00:28 ] [ 編集 ]

Re: 現像

あ、なるほど
焼き付けってそんな感じなんですね
ようやく写真プリントの仕組みが分かりました!
どうやって写真帖を作っていたのだろうという疑問が晴れました
[ 2015/08/13 13:30 ] [ 編集 ]

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