海兵37期海大甲種20期 木幡行海軍少将のアルバム

御無沙汰でした。
今回は、私が大好きな海兵37期出身の方のお写真を紹介しようと思います。

37期が好きで好きでやってきましたが、ご遺族様ご子息様より賜るお話や資料には驚かされるばかりです。
37期は本当に多士済々で調べていて面白いクラスです。
しかし、多くの情報は出さないでおこうと思います。一つのクラスだけの情報は需要が無いと思いますからね。

さて、今回はそんな37期の木幡行海軍少将のアルバムです。
先日亡くなられた阿川弘之氏の『井上成美』を読まれた方ならご存知だと思います。
同じくご子息も小説の中に出てきておられますが、その方に会ってきました。
井上校長の話を色々と仕入れてきましたよw
これらの写真はそのご子息様よりお借りしたものです。
これらの写真は問い合わせがあっても使用許可を出しませんので予めご了承下さい。
また、無断使用転載厳禁です。必ず守って下さい。
では、始めて行きます。
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木幡少将については私がwikiにページを作成しておりますのでそちらで確認して下さい。→ 木幡行海軍少将

木幡少将は明治39年に海兵37期生徒として江田島に入校しました。
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生徒時代のお写真です。
隣に居る方も37期だと思いますが、壮年期とお顔がやはり違ってくるので判別はまだ出来ておりません。
木幡少将は卒業成績こそベッキでしたが、海大甲種では優秀な成績で入学されています。
かなりな努力家だったのだと思いますが、奥様の内助の功もそれは献身的にあったようです。
海大への猛勉強中に寝そうになると奥様が後ろから起こしながら勉強したというエピソードが好きです。

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そして順調に水雷屋としてのキャリアを進まれて、上海事変では功4級を授与されています。

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威風堂々、提督としての貫禄も感じ、THE提督像と言えるお姿ではないでしょうか?

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大礼服姿です。
昭和11年という記述もあるので、この大礼服が使われなくなる直前ですね。
参謀飾緒を付けておられるので馬公要港部参謀長時代の写真だと思われます。
木幡少将はキリスト教徒として自制に努め、お酒もSプレイもやらなかったようです。
が、海軍のことを知っている方はご存知のことと思いますが、海軍には酒と女はつきものです。
そういった面や頑固な面から上司と折り合いが悪くなることもあって早くに海軍を辞めさせられたのではなかろうか?というのがご子息の話でした。
馬公要港部は閑職のような意味合いを持っていますから木幡少将も覚悟されていたようです。

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こちらも参謀長時代のお写真です。
お食事中のものでしょうか?

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大尉くらいの方々
同僚と思われます。結構歳がいっているようなので特務大尉の方々でしょうか?

その後、木幡少将は横須賀防備隊司令を命ぜられ、横須賀にて勤務をされます。
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2枚目に写るのは駆潜艇?でしょうか?詳しい方よろしくお願いします。

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任海軍少将、予備役となってしまいましたが、もし太平洋戦争開戦後も現役であったなら水雷屋として水雷戦隊を指揮して活躍されていたのではないでしょうか?

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横須賀鎮守府での退任式の様子です。現役を離れる方のこのような退任式の写真を見たことがないのでかなり珍しい物だと思います。
候補生から合わせて28年間の海軍生活でした。お疲れさまでした。

さて、予備役に入られたあとは寺島健元中将のお世話で、浦賀ドックの顧問として再出発されています。
その後、浦賀ドックが青島の海軍工廠の再建を依頼されると青島出張所所長として奮闘されます。
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木幡少将のこの笑顔、好きですねw

もちろん、海軍軍人だからこその配置ですよ?
ですから、海軍軍人たちもよく出張所には訪れていたようです。
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近藤信竹大将(当時第二艦隊長官)と古賀峯一大将(当時支那派遣艦隊長官)です。
うぉ〜、すげービックネーム!
このときに頂いたという揮毫も見せていただきました。
その他、大角岺生大将や中国の任援道なども来られたようで揮毫が残っていました。

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青島時代は楽しかったようです。
また、青島に住む日本人の子供達を少年海洋団という組織を作り海軍のボーイスカウトのような感じで指導していたようです。下は団長として励む木幡少将です。

しかし、残念ながら日本は敗戦を迎えます。
木幡少将も勿論、その混乱に巻き込まれていきます。
が、少尉の時に乗り込んだ練習艦隊の教え子であった中国の留学生たちが、昭和20年には中国軍の中枢にいたようで所長待遇で遇してくれたようです。
米軍のLSTで日本に引き揚げ、戦後は突然の無職となり大変苦労したようですが、秦行舍という印刷会社を設立して生活を立てたそうです。

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晩年のお写真です。好々爺ですねw
木幡少将は90歳の長生きでした。一目お会いしてみたかったですね・・・

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最晩年のお写真だと思います。
後ろにあるのは、同期で親友の加藤仁太郎海軍少将の碑です。
戦後も37期の回想録を印刷したり、最後まで海軍と関わっていたようです。


海軍も組織です。残る人も居れば辞めさせられる人もいます。
そんな歴史の表舞台には立たなかった人物にも、りっぱな人物が大勢居た事を忘れないで戦史等を見ていただければと思います。
今回は木幡行少将のアルバムでした。
海兵75期のご子息様には感謝してもし足りないくらい色々な物を提供していただきました。
この場にて失礼ですが御礼申し上げます。ありがとうございました。
関連記事
[ 2015/09/10 17:55 ] 海軍実物資料 軍人の写真 | TB(0) | CM(7)

ありがとうございました

小生の祖母は木幡行氏の長兄の長女にあたり、祖母より行氏の事を幾度となく聞かされておりました。

このようにネットで詳しい内容が読めるとは感無量です。

但し、祖母から聞いた話ですが、行氏は早くから日米開戦を意識しており、その終戦までも予測していたそうで、祖母には都市部には住まない事。 航空機には気を付けるように・・・ と注意していたそうです。
[ 2016/04/13 11:38 ] [ 編集 ]

Re: ありがとうございました

コメントありがとうございます。
また、拙記事をお楽しみいただけたようで幸いです。

木幡少将は対米戦を予想されていたのですね・・・
そのお話だけで聡明な軍人だったことが慮れます。
歴史にもしはありませんが、あのまま軍部に残られていれば戦争は起こらなかったのかもしれないですね。
[ 2016/04/16 16:07 ] [ 編集 ]

ご返信恐縮です

祖母 木幡こずえ から聞いている木幡行氏の話を少し書き記したいと思います。

あくまでも祖母から伝聞ではございますが。

海兵に優等で入学する事は誰でも出来るがビルから数える方が早い成績で卒業するのは誰でもできるわけではない。 これは海大でも同じことを言っていたそうですが、あくまでも話を面白可笑しく伝えたものと思います。

肝心な話として行氏は退官の挨拶を陛下の御前でなさられたそうで、退官後祖母には以下の通り伝えていたそうです。

日米開戦は遠くない未来に発生する。

日米開戦の勝敗は日本の敗北で終わる、工業力の差が大きく影響するとの事。従い早い時期に現役を退けたのは幸運ともらいしていた場面もあったと聞いております。 なんでも戦前のそれもかなり以前に南方で米国の影響力を見た事があるとの話でした。 ついでに祖母への南方土産は生きた猿だったそうで、祖母はそれは大変可愛がっていたそうです。 行氏はこの土産ひとつとっても普通人よりもサービス精神旺盛な好男子だったのでしょう。

行氏の兄、つまり小生にとって曾祖父は大蔵省の官僚だったそうでそれなりに裕福だったそうですが、子供の頃は落ちぶれ武家だったそうでその反動で乱れた生活をしていたとの事。 そのような環境で育った祖母にとって行氏は理想の父親像だったようです。 

余談ですが、小生の祖父も木幡一族につらなる血統で、木幡氏も含め代々相馬中村藩の重鎮の一人だったそうです。 今では信じられませんが・・・ その祖父も技官(佐官)として沖縄の航空基地の設営を行ったそうです。 

 
[ 2016/04/18 14:09 ] [ 編集 ]

Re: ご返信恐縮です

貴重なお話、ありがとうございます!
退官される際に陛下にご挨拶したというのはものすごいことだと思います。
ご家族しか知り得ないお話を知る事が出来て嬉しく思います。
それにしても、お土産が猿というのはすごいですね

木幡行少将が戦後に書かれた自伝に曾祖父さま(お名前は清さん、でしょうか?)と思われる方のお話が載っていたので
ご存知のことかもしれませんがご紹介させていただきます。

「宇多の杜の東端、溜の水の取入口の辺に兄弟二人で自炊している家があった。名前は忘れた。親は中通の方で巡査をしているとのことであった。その頃巡査の給料は誠に薄給であったから、二人は新聞配達や納豆売りなどして、いわゆる苦学して中学校に通っていた。蛋白源などは二人で裏の大川で雑魚をとって間に合わせ、頭は二人で虎刈りに刈りあった。履物は草履を作ってはくという有様であった。それでも成績は抜群で授業料不要の特待生で通したとの事である。当時試験中の最難関とされた海兵をパスし、その後相当の地位まで累進したと云う事を風のたよりにきいたが、今はどうなっているだろう?」

相馬の郷土史家の方が当時を知る方からいただいた手紙の中に書かれていたものだそうです。
何かのご参考になれば幸いに思います。
また少将のご子息の方が少将の自伝を編集された時の記事に木幡家は少将の祖父の代までは相馬藩の建築奉行を勤められていたと書かれていました。
ご兄弟、ご親戚の方々にも優秀な方が多く、素晴らしく優秀な御家系であるなと改めて羨ましく感じます。
[ 2016/04/18 19:19 ] [ 編集 ]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
[ 2016/05/20 13:19 ] [ 編集 ]

Re: またまたご返信恐縮です

返信ありがとうございました
また、返事が遅くなってしまい申し訳ありません。

一連のコメントのお話を木幡行少将のご子息にお伝えしたところ、
思い当たるお話もあるし、出来れば直接お話してみたい
と伝言を頼まれました。

突然のお願いで恐縮ですが、
よろしければ一度、私のメールアドレス:yamatonadesiko1941@gmail.com
までご連絡くださればと思っております。
よろしくお願いします。
[ 2016/06/04 17:16 ] [ 編集 ]

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[ 2016/07/07 08:59 ] [ 編集 ]

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